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師匠が手渡してくれた、分厚い封筒に涙した

私は師匠が怖い。


けれど、とても尊敬している。
「あぁ、こういう大人になりたいな」
そういう感情を抱かせてくれ、そしてゼロから農業の世界に飛び込んだきっかけが師匠だった。

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その師匠は、出会ったときから
「農業は、毎年気候も条件も違うから、毎年1年生、毎年実験だ」と言いながら、小さな農村の大きな宇宙の中で、農業を通じて長い旅をしていた。


一方私は、それまでずっと自分のことが大嫌いだった。
太りやすい体質。もっと痩せたい!と過激なダイエットを繰り返し、ボロボロだった。見た目がダメならせめて学力だけでもと、猛勉強した。しかし進学校で急に何も頑張れなくなって学校に行かなくなった時期もあった。だからこそ、自分の存在意義を求めて、アフリカで人道支援を学んだりと、学生時代は貪欲だった。


それは、私が私でいい場所を探していたようにも思う。
脇目もふらず、がむしゃらに進んできたけど、いつも心は未完成。そんなときに出会ったのが、師匠だった。

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大学3年生の頃、中越地震の復興ボランティアで今の師匠の住む、限界集落に出会った。それは人生の大きな転機となった。
限界を希望に変える農業者たち。農業を通じて教えてくれる生き方、価値観、美意識。

語らぬ作物たちが、あり方を教えてくれること、失敗は次への階段であること、太っていても、痩せていても、怒っても笑っても、立ち止まっていても、完璧でなくても、豪雪の日が続いても、雪はいつか止み、また春が来ること……。

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ときには畦の上で、ときには雨打つ田んぼの中で、農業を通じて、変化の時代にしなやかな生き方や哲学を示してくれた師匠と同じ時代を生きられることは、何よりの幸せだった。


たくさんの情報や「こうあるべき」が錯綜し、変化が激しい時代の中で、どこにもフィットしない生きづらさを感じていた私は、どこか世の中に胡散臭さを感じていたのかもしれない。


こんな大人になりたい!
そうして大学4年生だった私は内定先の広告代理店を断り、移住・農業起業した。


もちろん、去年までペーペー女子大生だったヤツの農業。
失敗ばかりだった。
でもがむしゃらだった。
誰よりも努力してきたと胸を張れる。

しかし、私の力ではどうにもならない出来事が起きた。
悲願の干し芋の加工所建設を前に計画が前に進まなくなった(詳しくはこちら)

住民トラブルだった。
1歩進んでは2歩下がるを繰り返していた。私はすっかりメンタルが限界になっていた。そんなある夏のこと。お盆前、師匠から電話がかかってきた。私は、スマホの画面に映る師匠の名前にドキッとした。


運転中だったため、少し車をはしによけ、そしてスマホ画面に映る師匠の名前をじっと眺め、通話ボタンを押すのを躊躇した。


いつも、師匠からの電話は「まだ〇〇ができてないぞ!」「もうすぐ〇〇しないとダメだぞ!」「〇〇はどうなってるんだ」と農業に関する指導の電話が多かった。正直、いつも電話を出る時はドキドキしていた。そして今回。また何か粗相をしたかもしれない。それか、トラブル続きの加工所の件か…。思い切って通話ボタンを押す。


「おい、橋場(師匠の屋号)だども。お盆は香川に帰るのか」


いつもと違って、師匠の声は、とてもまろやかな語り口だった。


「いえ、忙しすぎて帰れないかな、と思ってて」


「そうか。ところで、あの件は結局どうすることにしたんだ」


あぁ、あの件。
干し芋の加工所のこと。畑で会うたびにはっきりとした返事もできず、でも本音はもう諦めようと思っていることを伝えられないでいた。もう頑張ることに疲れてきた。その電話口でもやっぱり私は、もごもごしてしまった。


八方美人の私、サイテーな私。


すると師匠は語気を強めた。


「大丈夫だよ」
「やろうと思ったときにすぐやらなければ、ずっとやれないんだから」
「自分の気持ちが大事なんだ。頑張ってチャレンジしてみれ。大丈夫だから」


強く、優しい言葉が、電話の向こうから聞こえた。
車窓から見える、じりじりとした青空を見た。


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思えば師匠は、私が移住したときから何もできない私を信じ、いつも励ましてくれていた。移住・就農を悩んだときも「大丈夫、女でも気持ちがあれば農業できる」と背中を教えてくださり、出荷用ナスを全滅させた時も、貯蔵していたさつまいもを腐らせてしまったときも

「また次頑張ろう。次乗り越えれば失敗なんてないんだから。
今いっぱい失敗しようそ」

と、腐って出荷できなくなってしまったさつまいもの片付けを一緒に手伝ってくださった。


あれから数年経った今もまだ、「失敗してよかったじゃないか、大丈夫だ」と私は励まされ続けていた。


もう少し踏ん張ってみよう。
もう少し全力で、頑張ってみよう。
何度もおこなった集落の説明会でも、師匠は最後まで私の味方でいてくれた。
最後まで、信じてくれた。


しかし、結局賛成派と反対派の拮抗に立ち行かなくなり、加工所建設は中止になってしまった。師匠から「大丈夫だ」と声をかけていただいた、1年後のことだった。私は十分頑張った。もう誰かのため、地域のために頑張れない……。

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あれから3年が経った。
いろんなものを手放していく中で、新しい風が滑り込んできた。
新しい仲間との出会い、新しい販路との出会い、再起に向けて「もう少し生きなさい」と言われているかのような温かさ。


一緒にさつまいもを作る契約農家さんもあれから増えた。
運営メンバーも増えた。
もう一回チャレンジできるかもしれない。
もう一回チャレンジしよう。

立ち止まりながらも、立ち止まっているなりの全力で前に進んできた。
そんなフガフガもがいている間に、師匠は高齢になりさつまいもの栽培から卒業した。けれど、自分のことでいっぱいいっぱいすぎて、なかなか師匠に会いにいくことができなくなっていた。会いに行っても、簡単な挨拶だけで終わってしまった。


あんなに応援してもらったのに、結局うまくできなかったことが申し訳なくて、どんな顔をしたらいいのか。しかも、失敗を機に農業を辞めたいとも心の片隅に感じている自分がうしろめたくて、勝手に会いづらくなっていた。

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そんな失敗から3年目の春。
やっと今年の夏に、加工所が着工できそうな目処が立ってきた。
とうとう今年から十日町で干し芋加工ができる!
しかし資金はあと少し足りない。5月下旬ごろから、クラウドファウンディングに挑戦してみようか、と生産者さんに伝えていた。


そんなある日。
師匠と同じ集落の生産者さんから
「橋場さん(師匠)が佐藤さんに話したいことがあるようなので、会いにいってください」と連絡をいただいた。


胸がドクンと打った。
会いに行かねば。この間にいろんなことがあった。いろんなことがありすぎた。そうして勝手に会いづらい気持ちを抱いたり、どう伝えたらいいか分からなくなっていたり、でも再起できそうになり多忙になってきたり。


いつもの悪いクセだ。
真正面から人と向き合えない。
人を大切にできない。だから私は加工所に失敗したのだ。


本当ならば、言われてすぐ会いに行かねばなのだ。
結局勇気が出ず、また畝立て繁忙期に入ったこともあり、生産者さんづてで連絡をいただいてから訪問は4日後になった。
私の心の弱さの表れだ。

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ちょうど田植えの繁忙期。ということは普通の時間に行っては不在だろうと、朝食後の7:30ごろを狙って行った。しかし家はがらんとしていた。
「もしかしたら、あの田んぼにいるかもしれない」


軽トラを走らせると、見慣れた師匠の軽トラが農道の入り口に停まってあり、その向こうの田んぼに、小さな師匠の背中が見えた。

・・・いた!


胸が高鳴る。


小さな体の師匠の泥の跳ねた真っ白なシャツ。
白い鉢巻。
赤銅色の、でも細くなった腕。

畦を駆け降りる。
「橋場さん!」
声をかけると、「おお、あいあい」といつもの師匠の顔が振り向いた。


「おめさん、クラウドファウンなんとかってのをやろうとしてるとな?」


これだ。
師匠は本題から話す。だから潔くて好きだ。


「はい…総工費2,600万で、色々資金工面してるんですが、あと300万は難しくてクラウドファウンディングっていうネットで支援を募るものをやろうとしてて……なんとか費用を抑えようとはしているんですが。。。」


「まあとりあえず、家に行こう」


ドキ。
これは色々聞かれるのかな。
もっとこうしたらいいとか、どういう話で進んでいるのかとか・・・
加工所を巡って、事業に直接関わりない人たちや反対派から無責任な意見を浴びせられたのを思い出した。師匠はそんな野暮なことを聞く人ではないのに、私は緊張した。


師匠の家に着くと、玄関先にはたくさんの山菜たちが山積みになっていた。
今も変わらず、山で生きている師匠を羨ましく思った。


師匠は玄関を上り、居間の引き出しをゴソゴソし始めた。そして手に何かを持ってやってきた。


「おめさんがまた頑張ろうとしてるみたいでな、クラウドファウンなんとかってやらをやるみたいだと聞いたもんだから。

ほら、これ、景気づけに支援だ」


そうして師匠は、まだ泥のついた分厚い手で、
分厚い封筒を私に手渡した。


中に入っているものが、お金だと気付いた。


「・・・!え!いや!これは・・・」


「ちょっと前に農協寄ったときに、クラウドファウンなんとかってやつについての本を読んだ。こういう支援の集め方があるとな。

この地域のさつまいもを使って、おめさんが頑張ろうとしてる。みんな期待してる。大丈夫だ。これを支援として足しにしてくれや」


じわりと目が熱くなった。
顔が上げられなかった。


いつもいつも、私は励まされていた。
でも、いつもいつも、何も返せないでいた。
そして、失敗の挙句に、この世界から足を洗おうとしていた。
悩んでいた。
もがいていた。
悩み続けながら、でも最低な自分、弱い自分に向き合いながら、変わりたいと思っていた。


もがいて悩んで、立ち止まって、前にちょっとずつ進んで、連絡もできないでいた私を、まだ師匠は信じてくれていた。


頭を下げた。
なんて言葉を返したらいいか分からなかった。


まだクラウドファウンディングは始まっていない。
でも、師匠が第一支援者だ。


私は、師匠に出会ったときのことを思い出した。


「こんな大人になりたい」


その気持ちが、出会ってから12年経った今も、全く変わらない。


こんな大人になりたい。
そして私は、やりぬく。もう一度、やりぬく。自分と師匠の言葉を信じ抜くために。


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