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師匠も自然も、変わらず待っててくれたから、一歩踏み出せた

もうだめかもしれない。


そう思ったとき、なかなか授からなかった2人目が私のお腹にやってきた。

それはまるで赤ちゃんから

「お母さん、そっちじゃないよ。だからちょっと、立ち止まって」と言われているようだった。


それをきっかけに、もう諦めがつくようになった。
数年かけて準備してきた、干し芋の加工所計画。私自身の失敗や住民トラブルが重なり、とうとう着工直前に中止という判断をした。


そうか、私は夢破れたのか。
叶わなかったのだ。
妊娠が分かって3ヶ月経った冬、布団の中ですんとその言葉が降りてきた。


私はその事実を受け入れられなくて、いつまでもこうありたい、こうしたいと叶わぬことばかりを言っていた。でもやっと、「私は失敗したのだ」と受け止められた。
そのとき、さまざまなものに拒絶され続けたけれど、最後の最後には、両脇に娘と夫が今ここにいてくれていること、本当にありがたく、涙が流れた。


時が流れた。


いろんなものを手放し、ひとりになり、長女と一緒に里帰りをして、今まで仕事ばかりで長女としっかり向き合えなかった時間を取り戻すかのような時間を過ごし、

そして次女を出産。

自分の子どもとの時間に向き合いながら、失敗を忘れようとしたり、振り返ろうとしたり、新しい道を探そうとしたりしながら、実家で過ごした。


新潟に戻ってからは、お世話になった人のところ、師匠のところへ挨拶に行かねばと思いつつ、しかし、なかなか動くことはできなかった。


そんな私を見かねて、
「そろそろ顔出したら?
もし明日例えばその人が死んでしまったら、後悔するでしょ?」

夫が背中を押した。


山道の左カーブに沿って、落ち葉にまざって光る宝石が落ちていた
と思えば、日に光る落ち葉のかけらだった。
雨上がりの午後。
みずみずしい山の緑。
産後始めての、訪問だった。私が農業をしている場所。加工所計画の時は何度も通った場所。


ハンドルを握る手も、胸もざわざわしていた。


思えば、ずっと引きこもっていた。
人も怖い。傷つくのも怖い。外に出るのも怖い。でも、なにかせねば。
何かをすることで、私がここに生きていてもいい理由を見つけたかった。
けれど、PC画面にも、本の中にも、生きる理由は見つからなかった。
それなのに、考えることで頭がいっぱいで他のことがなにも手につかない。

そんな日々だった。


師匠はずっと加工所建設を応援してくださったのに、私は実現させることができなかった。長い時間が経ち、どう会えばいい?


緊張しながら師匠の家の玄関を開けた。

「こんにちはー」

「あいー」

奥から聞き慣れた声が聞こえた。
出てきたのは、いつもの師匠だった。

部屋に通され、そして師匠は開口一番こう言った。

「来年も、またやるだろう?」


「え?」

「農業だよ。お前さんが復帰したら、またやれるように、田んぼも畑も、ちゃんと綺麗にしといたぞ。草ひとつないぞ。山に行って、見に行ってごらん。自慢じゃないが、結構いい出来だぞ」


来年もやる。

私は農業自体、続けようか悩んでいた。こんなに拒絶された農業。
けれど、準備して、待っててくれている人がいた。そして開口一番その言葉が出たということは、ずっとずっと、師匠が聞きたかったことなのだろう。


ごめんなさい、そう言いそうになった。
でも、と踏みとどまった。


その師匠の言葉だけで、私にとって生きる理由だった。
ここで、生きていてもいい理由だった。
そして師匠は続けた。

「あと2年。あと2年、85歳になったら、農業はやめようと思うんだ。でもあと2年は頑張ろうと思うんだ」

「そうなんですか…」

初めて、少し後ろ向きな言葉を師匠から聞いた。
けれどその雰囲気はとても前向きだった。私は今まで、この人から目に見えない何かを受け取りたくて、知りたくて、頑張ってきた。しかし、変に注目されるようになってから、いつしかその気持ちが「地域のために」という名目に変わっていったように思う。
私はずっと、この人にただ、ついて行ってみたかっただけだった。


「ありがとうございます、わかりました。がんばります、来年」
私は答えた。

帰り際、
「また、みんなで遊びにおいで」と師匠は言った。

「はい!また」

心に温かいものが広がった。この1年、なかなか受け取れなかった感情だった。


師匠と別れて、その足で山の田んぼや畑に行った。
私が妊娠出産で農業を休んでいる間、耕作してくださった田んぼも畑も驚くほど綺麗だった。


毎年変化する自然環境のなかで、変わらず同じ場所で、同じ作物に向き合ってゆく、変わらないものがそこにある。
そこだけ穏やかに流れる空が、私をほっとさせるのだった。
細い横道の、竹林に挟まれた木陰を歩くのが好きなのだった。


私が歩んできた人生、そのなかでこの場所と人と出会ってしまった文脈、必然性、そして選択と現在。


変わらず、大好きだった場所が、そこにあった。


いただいたサポートは、里山農業からの新しいチャレンジやワクワクするものづくりに投資して、言葉にしてnoteで届けてまいります!よろしくお願いします。