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この子と一緒に、生き始める

世界は奇跡にあふれている。


なんて言うと、ちょっとくさくて、まだまだコロナ後の先行きが見えない今、奇跡なんて言葉にするとむずがゆい。でもこんな時代だからこそ、どこかでカッと眩しいくらいの明日を望んでいる。今日とは違う明日。明日とは違う未来。

佐藤家にも、いつもと違う日々が始まった。
そう、無事に8月21日、第三子を出産しました!

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コロナ禍により病院には家族も入れない。
陣痛が始まり、入院してからはずっと病室で一人だった。
荷物は、玄関で夫が看護師さんと受け渡し。届いた荷物の中に、長女からの手紙が入っていた。

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一緒に入っていた手作りのお花を窓辺に飾る。
外は青空だった。

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みんな、君と会えるのを待っている。


陣痛に耐える。
辛いのだけれど、3人目にもなると喜びの方が半分勝つようになってきた。
やっと会える!
お互い顔も合わせぬままもう10ヶ月も同じ体で地道に、時に泣いたり怒ったり笑ったりと、変化するホルモンの奴隷になって不安定になる母(私)とともに大きくなり、生きてきた君と、そう、やっと会えるのだ!


ああ、今日のこの日までに、君に胸を張って「めっちゃいい世界だから、安心して出ておいで!一緒に楽しもうよ!」と言える世界を作ってこれただろうか?
うん、たぶん、大丈夫、安心して出ておいで!
この世界は素敵だから!
万一物足りなかったら、一緒に楽しい世界にしていこう。


そうしてやってくる陣痛のたびに、静かに息を吐く。
大丈夫、大丈夫、怖がらずにおいで。


そうしてずるんと産まれてきた君が、助産師さんに抱かれてそっと私の隣にやってきた。
ああ、ようこそ世界へ!
おめでとう命!


そして急に力が湧いてきた。
不思議な力だった。
胸の奥、お腹の底からあたたかいものが込み上げてくるような感覚だった。
思いっきり抱きしめたいけど、今にも壊れそうな小さな命を前に、これは母性だろうか、覚悟だろうか。
私の命のなかから、命がうまれた。
君が息をしている。泣いている。何かと掴みたそうに手足をばたつかせている。
その一見当たり前のこと、一つ一つが奇跡に思えた。

その奇跡を前に、もっともっとこの世界を素敵にしていきたいと、心から思えた。
この世界を、人生ある限り、この子達とめいっぱい楽しみ尽くしたい。
君が初めて出会うこの世界を見る眼差しと同じ目線で、この世界をもう一度、見てみたい。感じてみたい。そして君の口から、いろんな話を聞いてみたい!



21時に出産後、病室へ戻り静かな時間を迎えた。
体はそこらじゅう痛いし辛い。
でも軽くなった体が補充をするように、どこからかむくむくと力が注がれているような感覚が続いていた。真っ暗な部屋で、いつまでも眠れなかった。



入院中のある日、電話が鳴った。夫だ。

「下いるよ」


窓から病院の玄関の方を見下ろすと、夫と長女がいた。
下で、長女がめいっぱい手を振っていた。
電話口から「おかあさーん!!」と元気な声が聞こえ、涙が溢れてきた。


元気にしてる?
ゆうひちゃん(次女)はちゃんとお父さんと寝れてる?
みんなでお父さんの言うこと聞いて、過ごしてる?

いろんなことを聞きたかった。
私も手をふり返す。

「お母さん、元気だよー!」


みんな生きている。
私も、大好きな夫も、子どもたちも、そして新しくこの世界にやってきた君も。


「何かができても、できなくても、ダメだった日でも、生きてるだけで、100点満点よ」


以前、国際NGO代表の方が、そう声をかけてくれたことがあった。
あのときは、自分の会社で大失敗してどうしようか悩んでいるときだった。

日常のなかに置かれると、生きていることが奇跡だなんて忘れてしまう。私たちは普段、死と遠いところにいる。でも、辛いときは死がぐっと近くに寄る。

今日も生きることができた自分を褒めよう。
今日も、大切な人たちが死ななかった今日を本当に本当にありがとうと手を握ろう。そして明日も生きよう。当たり前でいい。


退院して帰宅した。
優しい笑顔でおかえりを言ってくれた夫。
玄関で、おかあさんー!!と私を呼んで駆け寄ってきた娘たち。
命に出会わせてくれて、ありがとう。


この子と一緒に、私ももう一度生き始めるような感覚だった。

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