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人生の目的を、24時間スケジュールから逆算して見えたもの

結局私は、夫とこどもたちと人生を楽しむために生きている。
そのために、言葉を紡いでいる。


そう気づくと、ちょっと開き直れる感覚だった。


そう至ったのは最近読んだ本がきっかけ。
「自分のミッション、自分がなんのために生きているのか、人生上の目的意識が明確になると、実現スピードが速くなる。

その目的意識を見出すには、「自分の命があと半年しかなかったら、何をやらなければならないのか?お金を一銭ももらえなくてもやるべきことは何か?」

この問いに答えると見えてくる、というものだった。

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そういう問いはよく耳にしていたので
「そうだよねー」くらいにしか思ってなかったのですが、より具体的にするには「半年」ではなくて「あと24時間しか命がなかったら」にしてみるといい、とのこと。


なるほど。
 24時間なら考えやすい。


そうして紙とペンを取った。
私自身朝から考えるのは難しかったので、命が終了する24時から、逆算しながらはじまりの朝に向かって順番にたどることに。


お風呂から出て、19:30からこどもたちが寝る20:30まで、ベッドに横たわってこどもたちにたっぷり絵本を読む。
子どもたちが寝たら、夫とお酒でも飲みながら24時になるまで、いろんな話がしたい。

そこまで書いて、なぜかポロポロ涙が止まらなくなった。(想像力…


この2つは、いま、十分になかなかできていないこと。
本当はしたいこと。


いま、毎晩絵本を読んでいるけれど、妊娠中の疲労や、仕事での疲労で長女と次女、それぞれに1冊しか読めてあげれないこと、「これも読んで!あれも読んで!」とせがまれるのに、体力がついていかなくて「ごめんね」と言いながら本を閉じてること。


もっと夫と話したいのに、平日は早朝少し顔を合わせるくらいで、それから業務連絡以外まともな会話ができないままお互い疲れてて、こどもたちとぐっすり寝てしまうこと。生きることや働くことに一生懸命すぎて、でも本当はもっと家族と過ごしたい。ゆとりを持って大好きな人と向き合って、時間を過ごしたい。


全然気づいてなかったけれど、
やっぱり夫やこどもの存在は、私にとってとても大きかったんだ。
それは大きな気付きだった。
家族を第一にする農業女子仲間のみんなの感覚を、実は理解できなくて「私はバリバリもっともっと働きたいし、成長したいし、自己実現したい」と恥ずかしながら感じていたから…。

初めてありのままで正直な私を受け入れてくれた夫と、こどもたち。
本当は家族とたくさん過ごしたくて頑張っているのに、頑張れば頑張るほど遠のいていく感覚。


先を書き進めてみた。


夜ごはん。家族で美味しいフレンチディナーを食べたい。
午後。昼駆け回りで、みんなで長野でキャンプしてダラダラして、草原でお昼寝をして、青い空をずっとずっと眺めて。
朝食はあそこのパン屋さんで出来立てのパンを外のテラスで頬張る。
うん、最高。そんな1日、過ごしてみたい。


そして夜明け。


朝はいつも4:00には起きて仕事したり本読んだりしてるけれど、最後の日の朝は何するだろう?

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夫とこどもたちや親に手紙を書くかな。
みんなのこと大切にしてること、大好きなこと、いつもそばにいること、私の人生に彩をくれたこと、支えてくれたこと、ダメな私を好きでいてくれてありがとうの気持ち、また会おうねの気持ち、
きっと涙涙しながらも、5時には書き終えられるだろう。


じゃあ子どもたちが起きるまでの2時間、何する?


ほう、2時間余った。


書くだろうな。
いま感じていること、残しておきたいこと、自分自身の感性に触れたこと。
誰にあてるわけでもないけれど、素直な自分の延長線上にある、心の自由を感じる世界を、好きなように書きたい。


小さい頃に見た、まっしろな紙の上にポツンと置かれた言葉から広がる、ワクワクするような世界や、ときに悲しみに寄り添ったり、正直な自分に出会う世界。

それを、段々と桃色になってゆく朝の空を眺めながら、書きたい。
詩のような物語のような、これから旅立ってく自分に対するお守りとして書くのだろう。


やっぱりこれが、私がやりたいこと?


紙を眺めて、そうか、と心がストンと落ちた。
その日から、こどものひとつひとつを前よりよく見るようになった。
こどもたちの言葉を、よく聞くようになった。
そしてどうすれば、夢を叶えながら、家族と過ごせるかを考えるようになった。


それは今までとあまり変わらないかもしれないけれど、
ちょっとだけ、心の場所が変わった、そんな気がした。

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