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単なるノイズか、神の贈りしハプニングか?

3日間、イベント出店していて、その撤収時に大雨に打たれて心も体も打ちひしがれ、まんまと体調不良になり結局翌日も休んで今に至る。

定休日があってよかった。

充分休めた。

その間頑張ってくれたスタッフには感謝しかない。


最近また、自分のキャパを超える考え事が増えて来ていて、きちんとコントロールをしないといけない時期になって来ている。

私は、割と自分で自分をコントロールできている方だと思いがちなのだけど、結局どこかで余分にやることを増やしてしまうタイプだ。

まだやれる、まだ入れ込める、と、なぜかそう思ってしまう。

オーバーフローになりかけてから気がつくようなスケジューリングをしてしまうのが、何年経っても学べてない。

楽になりたいのに、自分で自分の首を絞めがちだ。

反省。


だからと言って、いつもうまくいかないわけではない。

きつくても、こなせばいい。

しかも私のスケジュールにはきちんと「休む」というスケジュールすら入れてある。

空白は埋めがちだけど、「休む」という予定はきちんと予定としてカウントされる。


それでも予定を入れたくなるのは、きつめのスケジュールでそれをこなしきれた時の快感が気持ちいいからなんだと思う。

私にとっての報酬系の一つ。

新幹線の予約もギリギリにしたがるし、打ち合わせの時間も開始時間だけでなく終わりの時間も決めて、それに合わせて次の予定をわざと入れ込む。

こういうオンタイムで動くのは、自分だけのリズムであれば大抵うまくいくし、計算通りに物事が進む気持ち良さがあるからやめられない。


ただし、うまくいかない時というのも少なからずあり、それは大抵外的要因が作用する場合だ。

つまり、他人が影響すると乱れる。

これは自分のコントロールだけでは成り立たないし、人が人と関わって生きていく上で無視できないものだ。

それを単なるノイズと捉えるか、神の贈りしハプニングと捉えるかは、そのタイミングや内容によるかもしれない。


何が言いたいかというと、人は人に様々な影響を起こし、それは無視できるものではなく、良くも悪くも自分を形成する一つとなり得るのだ。


今までの私のスケジュール、そして近い未来の将来設計には「ハプニング」が生まれ得る余白がなかったのかもしれない。

今、実は自分の計画の中になかったちょっとしたハプニングが起こり、少しだけ戸惑ってしまうような案件が爆誕したところ。

これを整理して、自分のリズムにうまく乗せられるように・・・・

自分の腕の試されどきかもしれない。
できればただのノイズではなく、神からのステキな贈り物としての出来事と捉えたい。
できれば。


詳細はもしかしたらいずれまた、もしくはその問題は一過性であり消滅しているかも。

(それならそれでいいけどな)



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