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「家にいる」だけの楽しさが揺らぐ時
「家にいる」ことへの感情は、「家に誰がいるか」「どんな状況か」によって人それぞれ違う。
一人暮らしの人
パートナーと2人で暮らす人
家族何人かで暮らす人
友達や知人とシェアしている人
人数や対象だけでなく、他にも、家族に介護者がいたり、自分自身が体に不自由があったり、仕事があったりなかったり、家庭環境が悪かったり、様々な生きづらさを抱えている「家」もある
人それぞれ、大きく違う。
私は夫と二人暮らしだ。
心通わせられる相手がいて、2人とも心身ともに健康で、仕事は激減したものの、日々の暮らしの小さな幸せをかき集めて楽しめるタイプであったため、「家にいる」ことのストレスがほぼ、ない。
むしろ楽しい。
気の合わない人と会うこともなく、
誰かに気を使うこともなく、
ネットである程度のことが完結して、
勝手気ままに暮らしている。
それは、本当にラッキーな境遇とも言えるし、とは言えちゃんと自分で選択し作り上げてきた部分もあるという自負もある。
きっと、一緒にいる相手や家庭環境によって、家にいるのが辛い人、楽しい人、いろいろいるだろう。
一括りに、「家にいるだけでは息が詰まる」「家にいろって言われても辛い」と思っている人ばかりじゃないというのをここで書いておきたい、なんとなく。
「呑気でいいね」と言われるかもしれない。
非難されるかもしれない。
でも事実だ。
きっと、私だけじゃないだろう。
逆にいうと「家から出ろ(とまでは言わないけど、家から出て、経済活動、社会活動してね)」と言われる方が苦痛な人もいる。
「家にいる」のが好きだ。
緊急事態宣言が出された頃、家にいるのが好きで勝手にいるのと、「家にいなさい」と言われていないといけない、という状況は流石に違うからちょっと辛いよな・・・と、一瞬思った時があった。
でも、緊急事態宣言が解除された今、「あれ、全然辛くなかったな?」と思った。
むしろ、みんなが家にいるという状況が不謹慎であるかもだけど「たのしかった」のだ、私は。
長い人生の中のほんのいっとき、こんな時があってもいいじゃないか、と。
逆に、近いいつか、通常の経済活動に戻るときの方が、個人的には「ちょっと辛い」と感じる可能性があるな、と予感している。
もうこの、ゆったりと穏やかで、経済活動から少しだけ外れて、細々と暮らしていたリタイア後のような生活は、いつかまた失われていくのだ。
「かつての、いつもの日々」に戻らないといけないのだ。
そんなことはそもそもわかっている。
緊急事態宣言の解除によって少しだけ、世の中の正常化がかすめてほっとした喜び以上に、小さく焦る自分がいる。
そんな日記。
***
追記で、「緊急事態宣言が解除されることの、置いてけぼり感」という、ちょっと見方を変えた、かつさらに弱音をはいた文章(笑)を【noteサークル限定記事】に書きました。(約1000字)
ご覧になりたい方は、ぜひサークルで。↓
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