人見知りの私が、人前で話せるようになるまで
人生の半分を人見知りで過ごした。
社会人になるまでは人見知りが酷くて、人前で喋ることが本当に苦手だった。
恥ずかしい、消え入りたい、とにかく注目されたくない。
気のしれたほんの一部の友達と家族くらいとしかあまり話さなかった。
そんな私が、社会人になってから企画営業の仕事になり、いろんな取引先と話す機会が増えてから少しずつ変わっていった。
嫌だけど話さないと仕事にならないので、無理やり話すうちに「知らない人と話す」ことに否応なく慣れていった。
その後は接客業を通してお客様とも毎日話すようになり、イベントの企画をすると大勢の前で話すことも余儀なくされて、今やかかみがはら暮らし委員会というコミュニティの理事として、「みんなの前で話す」ことがむしろ普通になってきた。
最近知り合った人は、私が人見知りだったなんて思いもしないだろう。
それくらい、普通に誰とでも話せる。
今は全く人見知りしない。
例えばどこかの大きな会社の社長さんでも、界隈で名の知れた人でも、怖そうな顔をした人でも、まるで接したことがないジャンルの仕事をしている人でも、誰に対しても比較的フラットに話せる自信がある。
今思うと、「人見知りなんて自意識過剰だったな」とわかる。
(全国の人見知りさんを敵に回したかもしれないけど、私の人見知りの原因は確実にそこだった。他にはいろんな原因があると思うので、あくまで私の場合は、だけど。)
私が恥ずかしいのは、人にどう見られているかを気にしすぎていたからだ。
容姿、服装から、歩き方、話し方、全ての言動を「人に見られている」のが恥ずかしくて、辛かった。
食べる姿を見られたくない、音を立ててないか?お皿の持ち方は合ってる?次は何を食べるのが正解?いつも周りを気にしていた。
学校で手をあげて発言するなんてもってのほかだった。
手の角度ってこれでいいの?なんかまっすぐすぎてはりきりすぎてない?目立たないように手をあげれないかな?なんて、発言そのものの前に、手をあげること自体が恥ずかしかった。
いつもいつも、「変なことしたら嫌われちゃうのかも」とか「おかしなこと言っちゃったら変な目で見られるから怖い」なんて、本当にめちゃくちゃちっぽけなことまで、どう見られているかを気にしすぎるほど気にしていた。
でもだんだん、人はちょっとやそっとおかしなこと言ったとしてもそれで嫌いになられることはないし、そもそもそんなことで嫌われるのであれもともと合わなかった相手なのだ、と、割り切れるようになった。
食べ方がおかしくても誰も気にしない、手のあげ方なんて誰も見ていない、人はそんなこといちいち考えて反応しないし、判断もしない。
バカでもいい、失敗してもいい、何やってても何言われても、自分は自分で、他の人にとやかく言われる筋合いはない。
そんな自分でも好きでいてくれる人が、1人か2人でもいれば、問題ない、と思うと、とても気持ちが楽になるようになった。
「慣れ」というのはとても大きいと思う。
インテリアコーディネーターとして働き出し、まだ20歳で社会人一年目だけど、建設現場の年上の男性に指示を出す立場になることが多かった。
怖かったけど、とにかく数こなした。こなすしかなかった。
叱られて泣きそうになったこともあるし、バカな小娘がって思われてるだろうなってシーンも何度もあったし、話にならないからと私じゃなく上司に直接話が行くこともあった。
何度叱られても、何度呆れられても、へこたれずやってきたことが、今の自分の「人前で話すハードル」を下げたんだと思う。
人見知りだからいいとか悪いとかはなく、たまたま私は、人見知りであることが辛かったから、それがなくなってよかったなと今は思う。
今すごく気楽に暮らせているので、もし人見知りであることがしんどい人がいたら、少しずつ「話す機会を増やして、話すことに慣れていく」のが地道で確実な道なのかもな、と思って書いている。
(きっと他にも方法があるのだろうけど、あくまで私の場合は)
そんな感じで・・・
一対一とか、数人での打ち合わせは、そうやって数をこなすことで慣れてきた。
でも「大勢の前で話す」ことは機会もそこまでなく、なかなか慣れることがなかったからいつも緊張していた。
けれど、最近はやっぱり「練習する」ことが自分としては一番自信になるし、うまくいく近道だと感じている。
プレゼンをする前、結婚式の挨拶、イベントで司会をする、、、、など、大勢の前で話すのを想像しながら、実際に1時間くらい話してみる。
本番と同じように、資料を見せながら、具体的に目の前にその人たちがいることを想像して、時間を測って話してみる。
そこでつまづくところがわかると、資料に補足を書き込んだりして、また一からやり直し。
その繰り返しを何度かすると、自信が出てくる。
実は、練習した内容と実際に本番で話す内容は違うことも多い。
なぜかというと私の場合、きちんとした文章やメモなどの「カンペ」通りに話すと、少し間違ったり飛んでしまった場合の修正が難しいから苦手なので、カンペは作らない。
何度か練習するうちに、なんとなくこの方向で話していくとうまくいくな、という「方向性」みたいなものだけ捉えて、必要であれば単語で忘れないようにメモだけ書いて、それで本番に挑む。
何度か練習するのは、文章を覚えたり、そらで言えるようにするためじゃない。
繰り返すことで自分の中で納得のいく流れや内容をきちんと落とし込む作業ができるからだ。あとはその場の空気感を巻き込みながら「現場で作る」のが合っているな、ということに気づいた。
なので、話す練習は自分の中で今でもとても重要だ。
少しやるだけで、自信が出て、なんとかなりそうという気持ちになる。
落ち着く。
落ち着くと、失敗したり、うまく話せなくても本質は自分ではわかっているという自負があるから、どうにか思いだけでも伝えられると信じている。
そうやって何度も練習することが、結果的に「慣れ」にも繋がっていき、もしかしたらいつか練習しなくても人前で堂々と話せるようになるのかもしれない。
今はまだ分からないけど、ちゃんと思いが話せたときはとても気持ちいいし、よかったな、という安堵と共にぐっすり眠れるので、やっぱりたまに人前で話すのも悪くないな、と思う昨今。
ふと、思い出した夜。
***
追記で、さらに「人前で話すのが苦手なら練習すべき」という、めちゃくちゃ当たり前のことを【noteサークル限定記事】に書いた。(1100字)
「失敗しないため、ではなく、失敗しても落ち着いて対処できるから、練習大事」という話です。
続きでご覧になりたい方は、ぜひサークルで。↓
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