種の市(仮称)、始動します

「山形ビエンナーレ」
https://biennale.tuad.ac.jp/

数個ある”市プロジェクト”のうち、食の分野に関わることになりました。
スケジュール的に、関われるか最後まで迷ったけど、最初から参加できて結果的によかったと思っています。

参加者の専門分野がそれぞれで、ときおり打ち合わせの方向が支離滅裂になりながらも、なんとか一つの方向性を打ち出すことができたのが、私にとってもいい経験となりました。

ファシリテーションの女性があとでメッセージをくれて、的確なまとめをありがとう、と言ってもらえたのが嬉しかった。

トークが苦手なので、自分で「本当にこれで合ってるかな?」と不安になりながら、でも最近は、自分の見えていることくらいは、ちゃんと相手に伝えようと能動的に思うようになってきていて。

アート、建築、農業、食。みんなが自分の分野しかわからない中で、私の器用貧乏さを生かして、この人はこれを言いたいのだろう、ということを拾い上げることができて、手応えを感じました。

私の身の回りにいてくれる人たち全てのおかげ。なんとなく、彼らの話すことを聞いていて、知らない間にそれが自分の中に蓄積されている。専門家の人と多く接するというのは、そういうメリットもあるのかと最近すごく思う。結局周りにいる人が自分を作っている。育ててくれている。

最近、どんな大勢の人の前でも話すのがこわくなくなってきた。

学校の授業で手をあげたためしのない私が。

なんなら宿題もせず、先生の目の敵にされていた私が。

最近、いろんなことを一人で進めていかなきゃいけない中で、本当に鍛えられてきた。議事録公開での会議の場や、プレゼン、ブレスト、興味のない相手にイチから説明するときとか、インタビューしていて相手から引き出したい話に導いていくことなど。

何も進みそうにない打ち合わせとかが嫌いになってきたあたり、せっかちなのを抑えられなくなってきてもいるな…とも思ったり。だって時間は有限だもの。意味のない時間は過ごしたくない。疎まれてもいいから何かしら爆弾を投下して何かに気づいてもらったり、方向性をもたせたり。嫌われるのが怖くなくなってきたというか、それで嫌われるくらいなら、それまでだったのだとあっさり思えるように。そして、そんなことで人は自分を嫌わない、というのもわかった。

以前は時間もあったし、せいぜい船の底から舵を操作するくらいで、人当たりもマイルドだったつもりだけど、最近はもうダメ。

結局何がしたいの?とか言っちゃうし、だらだらした打ち上げとかも嫌いだし。

年をとってきたのかなぁと思う。

それは仕事に関してだけで、プライベートで人と一緒にいるときは、意味のない時間ほど好きだったりするけれども。

さて。これからの展開が楽しみです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?