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世界を敵にして、たった一人に愛されるか。 たった一人を失って、世界に愛されるか。


わたしには兄がいる。
わたしにとっては宇宙人のような存在で、話も噛み合わないし、何を考えているのかもよく分からない、小さい頃は大小問わず色々迷惑をかけられてきた。

そんな兄が17歳のときだったか、片思いしていた女の子にフラれて部屋で一人、声も出さずに泣いていた。静かに目から落ちた涙が頬を伝っていく。
お嫁さんに離婚したいと打ち明けられた時もそう。夜中にしくしく泣きながら電話をかけてきて、あーだこーだ話を聞きながらアドバイスしたのだった。結局二人は離婚しなかった。

そんな時に兄の知らない一面、つまりは何も考えてなさそうな兄の、人間らしさを感じるのだった。

失恋して1〜2ヶ月。
まだまだ涙が乾かない。
そんな時、兄の涙を思い出した。


ただひとりの人に同じように好かれないことがこんなに辛いなんて。
夜中にひとりでパジャマで涙を拭く。
楽しいことはずっとは続かないことを我々は知っているのに、なぜ苦しみは永遠に続くようにその時は思ってしまうのだろうか。


今朝、去年ニコンサロンでひらいた個展、プラタナスの光の冊子を見ていた。
巻末に書いた文章に、人生は選択したものより選択されなかったもののほうが遥かに多い、とあった。自分で書いたものなのに書いた覚えがなく、はじめて読んだように思った。
選ばなかった人生のほうがもしかしたら彩豊かで幸せだとしても、わたしたちは選んだ人生を歩く。
それでいいのかもしれない。

昔、恋愛で悩んでいたとき電車の広告で惹かれたキャッチコピーを思い出す。

“世界を敵にして、たった一人に愛されるか。 たった一人を失って、世界に愛されるか。”
(劇団四季『ウィキッド』2007)


その頃、元夫と付き合いはじめた頃だったと記憶している。自分はどちらを選ぶのだろうと考えていた。極端な話ではあるが、元夫は他人に合わせられない人だったので、元夫を優先させると結果的にそれ以外の人間関係は閉じられた。だからわたしは、世界を敵にするほうをそれから十数年選んだのだった。

たった一人に愛されること。

それは本当に喉から手が出るほど切望するに値することだと今でも思う。
でも今は、たった一人を失っても、世界に愛されるほうがいい生き方なんじゃないかなと。

世界に愛されながら、失ったものを想える余裕を持つ。難しい、究極の選択だけれども。

失敗したならしたなりに、それを生かしたい。
わたしは世界に愛されるほうを選びたい。
それが十数年前に悩んでいたわたしへの答えかな。



SIGMA dp1 Merrill
“プラタナスの光”より




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