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わたしはわたしに戻る


太陽が眩しい。
ひまわりの花が背を高く掲げている。ひと月前に水を張った田んぼは、草原のように緑を揺らしている。夜勤明けの目には色が溢れて見える。夏休みに入った子どもたちは暑い暑いと言って、カブトムシとクワガタを採りにいくとき以外は家でゲームをしている。


海に行った。
家からいちばん近いインターチェンジから乗って、すぐ行ける海岸。いつもだいたい人があまり居なくて、好きなだけふざけて、満足するまで歩いて、満たされて帰る。そんな場所。
離婚後に行くようになった場所。
カンカン照りの浜辺だなんて好きじゃないから、だいたい夕暮れ時だけど。
Merrillでたくさん撮ったな。
昨日は2枚撮ったら電池が切れた。
そんな呆れるようなペースでしか写真は撮らない。それでも写真を撮るという行為は確実に自分を前に進ませる必要な行為だ。

夏休みは必ず子どもたちを旅行に連れていこうと決めている。少しでも感動するものに触れられるように、非日常の体験をしてほしいと思っている。非日常でなくてもいいのだが、記憶として残る経験を家族と共有する。それが何歳まで続けられるかは分からないけれど。

自分が子どもの頃は、祖父母や従兄弟姉妹、大勢で毎年、軽井沢や蓼科に避暑に来ていた。
車酔いしながら車窓から見上げていた空や、ホテルの庭にいたオニヤンマ、工房でどきどきしながら色を塗った楽焼の貯金箱。
写真で見るより残っている子どもを過ごしていたという思い出。

大人になると、子どもだった時代と比べて時間の過ぎ方も、価値観も、物の見え方も変わるだろう。それでも子どもの頃見ていた世界は、確実に今の自分に残る、むしろ、今の自分と昔の自分は全く同じ瞳で物を見ているような気もする。
嬉しかったら、嬉しい。
悲しかったら、悲しい。

当たり前のことを忙しく繰り返し、変わり映えしないような、はたまた目まぐるしく変わり続けているような、無尽蔵な自分の人生を踏んで歩いていく。

いつでも戻れるわたしという場所があることを、わたしは知らなければならない。
誰のためのものでもない、幼い頃の夏休みの旅行のような、笑って写真に収まっていたわたしへ。



SIGMA dp1 Merrill −1ev auto ISO100




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