見出し画像

祭りのあと

京都から家に帰ると、キッチンには元夫が作ったハヤシライス、味噌汁、五平餅、フレンチトーストが並んでいた。電子レンジの上にはわたしの好きなブランドのハンドクリームがラッピングして置いてある。朝、冷蔵庫を開けると元夫が買ってきた物が目に入る。胃が痛む。何も食べられず仕事に向かう。

日帰りで長男と京都に行った。
去年、次男三男と大阪・京都に弾丸旅行に行きったとき、清水寺の大舞台から見た夕陽を長男に見せたいと思った。今年はそのリベンジである二人旅。ガイドブックも持たず、写真仲間の展示と縁切り寺で有名な安井金毘羅宮に行くのを目的とした。行きの新幹線はギリギリ駆け込み乗車、車窓から自分たちの住んでる町を見下ろし、長男は宿題を、わたしも教科書広げてEラーニング。

四条駅と烏丸御池駅のあいだの地下道に飾られた友人の写真を誇らしく見る。
写真って、どこを撮ってもいい。何を思ってもいい。写真を撮っている世界中の人はそんな自由で人にどのようなメッセージでも送れる不思議な意思のもと作品を作っている。
写真はカメラという拘束以外は自由なのだ。

市バスに乗り、安井金毘羅宮に着いて写真を撮ろうと電源ボタンを押すとカメラが起動しない。電池が残っていたほうを充電器に差し、空の電池をカメラに入れていた。一枚も撮れないことにショックを受ける。けっこう最悪な気分のまま願い事を書き、悪縁を切り良縁を結ぶという碑をくぐる。カメラとカバンを下げたまま通ったのでなかなか狭く、苦戦しながら四つん這いでのそのそ動く姿を人に見られながら願いごとをするというのは恥ずかしい。
そんな母の恥ずかしい行事に長男に付き合ってもらう。
「悪縁を切って良縁を結ぶって、"毒をもって毒を制す"、みたいだねー」

何か純粋に物を見て楽しむことが出来なくなっている。歴史建造物でも賞を獲った選ばれた写真でも。でも長男とお寺を巡って、ふたりでおみくじを引いたり、蝋燭やお線香をあげたり、鴨川沿いを歩きながらたくさん話をしたり、行ったことのない道に構わず冒険するのは楽しかった。帰りの新幹線で長男が腹痛を訴える。

「無意識でパパが来るの嫌なんじゃないの?」
「無意識なら分かんないよ」

2ヶ月ぶりに元夫から子どもたちに会いたいと連絡が来る。長男以外の子ども二人を家に残してパパと会うように段取りをした。楽しかった旅行から帰るとパパがいるというプレッシャーなのか長男の様子がおかしい。充電3%のスマホを無理やり満員の新幹線のコンセントを探してつなぐ。元夫に帰ってもらうように連絡をする。お腹が痛いとしきりに言っていた長男は、最寄り駅に着く頃には元気になっていた。

何を悪縁、何を良縁と言うのかは分からないが、わたしは長男には幸せになってほしい。そして長男を心配させない人と付き合っていきたいと思う。守れるものは守りたいし、でも敵と戦い続けると疲れすぎてしまうので切るものは切りたい。

「なんだかスッキリしたね」

本当にこの二か月間キツかった。強くならなければならない。なぜなら守りたいから。仕事でも家庭でも、好きな人たちの笑顔を守っていきたい。神様仏様の前で手を合わせて願いを浮かべるときにはそんなに浮かばないのにな、強くはないけど好きな人たちの笑顔を見て暮らしていけたら幸せだなと心から願う。




rolleiflex 3.5f  xenotar  kodak T-MAX400
日々彼是(2020)より



最後までお読みいただきありがとうございます。©︎2024 OHO KANAKO All rights reserved.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?