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許したくないなら許さなくていい。辛いなら逃げていい。とにかく生きてほしい。~私のいじめ体験記~

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こんにちは。オタクエンタメライターの西原叶夏子(にしはらかなこ)です。元櫻野優里亜と名乗っていました。

今回は、私が幼稚園から中学卒業までいじめに遭った体験記です。現在、私は40歳になりましたが、中学卒業までの期間を未だにはっきり覚えています。もう20年以上も前のことなのに。

幼稚園からいじめに遭った

私は、幼稚園の頃からいじめられていたようです。ようです、というのは自分の記憶がないからです。

親の話によると、私は幼稚園の頃からマイペースだったらしく、キツイ性格のクラスの子にいじめられていたそうです。でも、私はその頃他に友達がいたので、そこまで落ち込んでいなかったようです。ジャングルジムから落とされそうになったこともあったとか。

小学校の記憶がない

小学校に入学したのですが、しばらくするとまた、だんだんいじめられるようになったそうです。といっても、これまた私自身は覚えていません。

小学校時代の記憶、ありますか?私の場合ほとんどありません。4年生で転校するまでの記憶がすっかり抜け落ちています。

でも、親から話を聞いて記憶がない理由が分かった気がします。最初に入った小学校では、低学年の頃から激しいいじめに遭っていたようなのです。

転校する前の小学校でのいじめの内容

転校する前の小学校でのいじめの内容は以下のものです。すべて親の話。

叩かれる・蹴られる・階段や遊具の上で押される・ハサミで髪の毛を切られる・水を掛けられる・ジャージをトイレの水道で汚される・物を壊される・悪口を言われるなど

こんな感じのことを、なんと低学年の頃からされていたのです。低学年からそんなことを?と驚くかもしれません。

子供はあまりわかってないと思うかもしれませんが、実はいろいろわかってるのです。最初はからかう程度だったものが、あっという間にエスカレートしていったそうです。

親は最初は学校が好きだったけど、だんだん不登校になりかけたと話してくれました。

そんな生活をしているうちに、親の仕事の都合で転校することになりました。

いじめの最初の原因はとても些細なこと

転校した小学校は、前の学校に比べてとても大きかったです。私はその頃から背が高い方で、クラスの子に大きい!と言われたことを覚えています。
しかし、転校して間もないうちに、またいじめに遭うことになるのです。

いじめの原因は些細なことが多いです。私の場合、確実に最初の原因の一つになったのが【ジャージ】でした。

転校先の学校は当時男子が青、女子が赤のジャージを着ていました。そんな中私は青。前の学校が男女関係なく青だったから。どうして前の学校のジャージを着ていたかというと、転校したのが3学期だったので、新学年になったら買おうと家族で決めて、学校から許可を得ていました。

しかしそのジャージが原因で、女子同士でいじめというかケンカのようになりました。『男の子じゃないのに何で青の体育着を着てるんだ!』と言われ、私も言い返したのでどんどんエスカレートし、取っ組み合いのレベルになったのです。最終的に先生が割って入り止めたことで収まりました。

この出来事や他の原因もあり、私はいじめられっ子になってしまいました。そしていじめはどんどんクラス、果ては学年中に広がっていったのです。

転校した先の学校でのいじめは、男子と女子の対格差がそんなになかったので主に悪口や無視、物を隠されたり壊されたり。転校前の学校と内容は大体同じでした。しかし、毎日毎日物を壊され、隠され、悪口を言われ続けるのは本当に精神的に辛かったです。

中学生になるといじめに暴力が加わった

中学生になると、私へのいじめはさらに酷くなっていきました。ほぼ学年全員の人達(男女問わず)がいじめるようになったのです。

しかも、私の学年が特に荒れていて、1クラスに1人以上不良(いじめっ子)がいて、1人以上はいじめられっ子がいるという状態でした。

私のクラスにも不良がいて、いじめられっ子も私以外に1人~2人位いたのを覚えています。

例えばこんなことをされました。

ずっとやられていたのがばい菌扱いです。〇〇(私の本名の苗字)菌と名付けられました。わざわざ私を触り、うわっ、汚い!と周りにタッチし、それがどんどん続く鬼ごっこがいつも起こっていました。そんな時私はずっと下を向いて耐えていました。

次に悪口。ブス!や、死ね!消えろ!などの悪口を1日中言われ続けていました。しかも複数人から。無視も辛いですが、たくさんの人に悪口を言われ続けるのも辛いものです。

ベランダに閉じ込められたことも何度もありました。そのせいで授業に出れないことも。今考えてみると、先生たちは気づいていたのだろうと思います。そりゃそうですよね。私が教室にいないんですから。

特に辛かったのが暴力でした。複数の男子から暴力を振るわれていました。中学生になると特に男子の身長が伸び、男女の体格差や力の差が大きくなります。そうなるともうやり返すことは不可能です。

例えば、廊下を歩いていると急に背中を思いっきり蹴られて吹っ飛んだことも。他のクラスの男子が私のクラスに入ってきたと思ったら、まっすぐ私のところにやってきて、お腹をおもいきりグーでパンチして帰っていきました。私は急すぎて身構えることもできず、痛さと驚きでしゃがみ込むのがやっと。周りはざわめきと笑い声。そんなことが日常茶飯事だったのです。

男子が暴力を振るう時は、顔ではなく、見えない部分(お腹や背中など)を狙っていました。顔はバレるからでしょうね。

また、階段を下りる時も恐怖でした。いつ押されるかわからないからです。実際に何度か押されたこともありました。自然に手すりを強く掴んで下りるようになっていました。


中学時代はテニス部に所属していました。テニスコートのすぐ隣にサッカー部が練習している校庭とサッカーゴールがありました。なぜかサッカー部には不良、つまり私をいじめている男子が多かったのです。

同級生たちがコートで練習している私にぶつけるために、わざとサッカーボールをコート側に蹴ってきました。試合でシュートするときのすごい力で。実際にボールが当たってケガをしたこともありました。

なぜ私にぶつけるために蹴っているとわかったかというと、あきらかにゴールを外すように蹴っているから。ゴールに入ると喜ばず、私の方に飛んでいくと喜ぶ。そして私に当たらないとあー!とがっかりしたような声を出していました。特に怖かったのがシュート練習の時でした。

辛さといつボールが飛んでくるかわからない恐怖で心の中では震えながら毎日練習していました。なにより、同じテニス部の人達に迷惑をかけているという申し訳ない気持ちがずっとありました。

部活以外でも私が外に立っていると、教室がある二階のベランダからいろいろなものが落ちてきました。ツバやボールなど硬いものが入った箱、ボールなど。全部私の近くに落としてくるのです。常にぶつかるんじゃないかとビクビクしていました。

他にも数えきれないほどいろいろなことをされました。

男子複数人に本気で追いかけられた(一番怖かった記憶)

特に記憶に残っているのが、いつも私をいじめていた男子達に本気で追いかけられたことです。

掃除の時間、廊下で不良の男子にブス!死ね!など悪口をたくさん怒鳴るように言われたのでドキドキしながらうるさい!と言い返したのです。その瞬間その男子が逆上し、持っていたほうきを振り上げ『殴るぞ!殺すぞ!』と怒鳴りながら追いかけてきました。

声と表情でこれは本気だ!と思い、捕まったら何をされるかわからない!殴られるだけじゃ済まない!と怖くなり私も本気で逃げました。

そうしたら、気づいたら追いかける男子の数がどんどん増えていました。最初に追いかけていた男子から話を聞き面白そうだと思ったのか、同じように怒ったのかわかりませんが、いつの間にか5人くらいに増えていたのです。

複数の男子がほうきなどを振り上げ殺すぞ!殴るぞ!と怒鳴りながら追いかけてくるので、私の恐怖はどんどん大きくなっていきました。本当に殺されるかもしれないという恐怖。自分の教室がある階だけではなく、校舎中すべてを本気で走って逃げました。

何度か先生達とすれ違いましたが、『廊下は走らない!』と言うだけ。

そんなことをしているうちに、帰りのホームルームの時間が迫っていました。私はとにかく教室へ!と思い、走って走って自分の教室に飛び込みました。そして、「男子に追いかけられて・・・」と息を切らせながら担任の先生に必死で説明しました。

先生は何も反応せず。友達が一緒に逃げてくれた

しかし先生は、私を見ると『何してるの、早く座って』と真顔で言いました。そんな時廊下に追いかけてきた男子の顔が見えて、私はまた教室を飛び出しました。この時思いました。先生はダメだ、と。

でも、教室で説明をしたことで、同じクラスの唯一の友達が状況を把握してくれて一緒に逃げてくれました。女子トイレに入るように助言をくれ、さらにモップで外側から開かないようにしてくれました。完全にパニックになっていた私は、それまで隠れるという考えが全く出てこなかったのです。

女子トイレにやってきた男子達はしばらくの間ドアを蹴ったりガンガン引っ張って開けようとしていました。『早く出てこい!殴るぞ!殺すぞオラァ!』と散々怒鳴りながら。私は怖くてトイレの奥で震えながら耳を塞いでしゃがみ込んでいました。散々暴力を受けていたので、捕まったら終わりだ!本当に殺される!と思っていたから。男子達の声が聞こえなくなってからも、しばらくは外に出ることができなかったのです。

結局、その日の帰りのホームルームには出れませんでした。それでも先生から何も聞かれることはなかったのです。

先生の対応にがっかり

いじめられている人で、先生の対応にがっかりした人はたくさんいるでしょう。私もその一人です。先ほど書いた男子に追いかけられた時も先生は何も反応してくれませんでした。

さらに、小学校、中学校両方で何度もいじめられている!と先生に伝えました。そしたら、先生は小、中共に同じようなことをしたのです。

それが私を抜いたクラス全員での話し合いです。先生によっては、私に原因があると私だけが説教されたこともありました。

中学生になると、私の学年が荒れていたからか、臨時の学年集会がしょっちゅう開かれました。そこでよく話題になったのが私達へのいじめについてでした。(当時いじめられっ子は複数人いました)しかも、いつもいじめられている私達が名指しされるのです。

酷い時は壊された道具を学年全員に見せて『これは○○さんの道具です。壊したのは誰ですか?』と先生が言ったこともありました。

先生に伝えるたびに、臨時の学年集会が行われるたびに、先生にチクったといじめは酷くなっていきました。何度学年集会が終わった途端、いじめていた男子達に『チクったな!』と追いかけられ、逃げたかわかりません。

いじめは、結局中学校を卒業するまで続きました。

今なら私に原因があったこともわかる

大人になった今ならわかります。私自身にも原因があったことを。未受診ですがADHDの自覚はありますし、周りも嫌だったのでしょう。でも、それでもいじめはダメなのです。

高校では自分を出せなかった

中学までの反動で高校ではほとんど自分を出すことができませんでした。とにかく黙って静かにすごしました。学校にいる間ずっと黙ってることもザラでした。学校外の友達にその話をしたら本気にされませんでした。それくらい学校外ではたくさん笑って話していました。

いじめの乗り越え方 私の場合

私はいじめられている間、不登校になることはありませんでした。親に心配をかけたくないという思いが強かったからです。学校に通い続けられた理由が他にもありました。

まず少数ですが友達がいました。同じいじめられっ子だったり、ただ普通に接してくれる友達がいてくれたおかげで、私は友達に会いに学校に行けました。
もう一つは中2でGLAYに出会ったことです。GLAYがまさに心の支えになってくれました。GLAYが頑張ってるから私も頑張る。そう思うことができたのです。この気持ちは今も変わりません。

いじめられた方は一生忘れない。ずっと苦しむ

いじめた方は簡単に忘れるかもしれません。いじめだとすら思っていない人もいるかもしれませんね。

でも、いじめられた方は一生忘れられないのです。一生の傷になります。大人になってもずっとずっと苦しむのです。大げさではありません。ブスといわれ続けると、自分はブスなんだと思い込んでしまうのです。死ねと言われ続け、本当に死んでやるよ!死ねばいいんでしょ?私だって死にたいよ!と何度思ったかわかりません。

軽くいじめているだけと思っている人。からかっているだけだと思っている人。私をいじめた人のように、ストレス発散で暴力をしている人。

あなたはいじめられている人の人生を壊しています。

私はこの時の経験で男性が怖くなりました。男性どころか、人間が怖くなりました。一人ならまだしも、集団で近づいてくると暴力を受けるのではないかと思ってしまいます。そんなことはもうないとわかっているのに。

逆に言えば、こんな私のことなんか好きになってくれる人なんていないと思い込んでいるので、ちょっとでも優しくされたり、好意を持ってくれる男性のことをすぐ好きになってしまうことがありました。そのせいで何度も失敗したり騙されたりしてきたのです。

たくさんの人と出会ったおかげで、少しずつ騙されることは減ってきました。

息子の話をいつでも聞いてあげられる親になりたい

今、私には高校生の息子がいます。もしこれからいじめられたら、すぐに気づいてあげられる親になりたいです。そしていくらでも休んでいいよ、不登校でいいよ、とすぐ言える親になります。私は休みたいけど言えない人だったから。

いじめられることは全く恥ずかしいことではないこと。どんな理由でもいじめる方が100%悪いこと。これを常に息子に話しています。どんな時でもしっかり話を聞ける親になりたい。そしてもし万が一息子がいじめる側になったら、それこそぶん殴ってでも止めます。

許したくないなら許さなくていい。逃げていい。

現在、私の地元では、私の中学時代の同級生達が集まり、忘年会や新年会などの集まりが行われています。でも私は絶対に行きません。呼ばれることはないと思いますが。なぜならあの時のことを許していないから。

先生にいじめられていると伝えても、謝る、謝らない、許す、許さないの話になることが多々あります。でも、いじめられてそんな簡単に許せますか?許せませんよね。

でも、先生がいる話し合いで、謝る、謝らない、許す、許さないの話になった時、たとえ謝られても許せない。そんな本音をもし言ったら、さらに大変なことになることが目に見えています。だから、その場では許すと言うしかない。そんなこともありました。

私は今でもいじめのことを許せていません。身体はもちろん、心も傷つけられ、壊されたのです。そんなに簡単に許さなくていいです。そして逃げたい!辛い!と思ったら学校を休んでいいし、逃げていいのです。

いつか学校は卒業することができます。ずっと休んでいたっていいのです。
高校とかだったら辞めてもいいのです。いくらでもやり直せます。学校は他にもある。それに学校に行かなくても学ぶことができます。いろいろな制度を使って進学することもできるのです。

もし職場でいじめられたら、勇気を出して辞めましょう。外の世界はとても広いです。どうか苦しい世界、辛い世界から逃げてください。身体が、心が壊れる前に。

あなたは一人ぼっちではありません。

どうか死なないでください。あなたには輝いた未来があります。未来は変えることができます。今の小さな小さな世界から抜け出してください。いつか大きな世界に出たり、大人になったら『生きててよかった』と思える時が必ずきます。

あなたが今いる辛い嫌な世界は、本当に小さい世界なのです。

これが、元いじめられっ子の私からの願いです。

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