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アフリカについて学ぶ①~オンラインStart受講~

”オンラインSTART”という、アフリカ、特にルワンダについて学ぶ、オンラインスタディーツアーに参加してきました。

『え、突然アフリカ?』と、皆さん思われたかと思います(笑)

1.受講のきっかけ

きっかけは、社会人2年目の暗黒営業時代にさかのぼります。

”私これがやりたかったっけ?”と毎日のように、モヤモヤしながら仕事をしていました。

それを見兼ねた友人が、タケダさんという面白い方がいるよ~と教えてくれました。

”大手食品メーカーの営業3年”というタケダさんの最初の経歴に、勝手に(笑)親近感を感じ、その時はSNSをFollowするにとどまりました。

(いや、その時受講しろよ!!という感じですね…(笑))

そんな中、ちょうど受講できそうなTimingが来て、ちょうど休職最中にいた私は、『いまだ!!』とばかり飛びつきました。

(※休職エピソードについても今度noteに書きたい…)

申し込んだときは、海外就職をそこまで真面目に考えていないときでしたが、アフリカという国についてたくさんの視点から知れるとても良い機会になりました。

講義は、5つのテーマ(①概要編、②歴史編、③生活編、④IT編、⑤バーチャルツアー)を3日間で勉強する構成になっていました。

全3回に分けて、感想を発信できればと思います。

まずは①概要編、②歴史編、Start!!

2.『①概要編』の感想 ”ルワンダはなんと女性議員比率世界No.1!”

note画像 ルワンダの女性議員比率

(画像引用:ニッセイ基礎研究所 infocalender)

https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=58349?site=nli

ルワンダは、男女格差が世界で6番目に少ない国だそうです。(日本は120位/156ヶ国中)

世界経済Forumが行ったGender Gap指数によると第6位を獲得しています。

さらに、ルワンダ議会の議席60%以上を女性が占めているそうです。

これには本当にびっくりして、思わずタケダさんに質問すると、その理由には、クオータ制という制度が一因になっているそうです。

クオータ制とは、格差是正のため、マイノリティに割り当てを行うポジティブ・アクションの手法のことを指します。

その制度を導入して、ルワンダでは議席の30%をあらかじめ女性に割り当てるようになっております。

なぜここまでルワンダでは女性の社会進出が進んだのでしょうか?

実は、このように男女格差が是正された背景には、ルワンダ虐殺が大きくかかわっています。

この虐殺で多くの男性が死亡したことで、世帯を支えるのが女性しかいないといった事態が発生し、物理的に女性が活躍しなくては国が立ち行かない状況になってしまったのです。

女性活躍の裏には、実は複雑な理由があったんですね。

3.『歴史編』の感想 ”生きていれば、私と同い歳だったのに…”

ルワンダ虐殺が起こった年は、1994年でした。

私が1995年生まれの26歳なので、虐殺で殺されてしまった赤ちゃんは、生きていれば私と同じ歳だったのだな、と思うと終始やり切れない気持ちでいっぱいでした。

ルワンダ虐殺は、わずか100日ほどの間に約50万人~100万人が殺害され、その数国民の約7分の1程にあたります。(性格な殺害人数はわかっていないそうです…)

これは民族間のもので、虐殺の犠牲となったのはマイノリティ民族のツチ族、加害者となったのはフツ族でした。

その死者数には本当に圧倒されますし、さらに虐殺が起きたのがたったの27年前だったことには本当にショックを受けますよね…。

恥ずかしながら、私自身あまりルワンダ虐殺について知識がなく、タケダさんから説明を受けて、特に印象に残ったのは以下2点でした。

(※こちら、歴史的な背景の解釈は多種多様ですが、もし読んでいく中で表現などに違和感を感じてしまったら申し訳ないです…。)

①”間接統治”という先進国の植民地支配が、”なかったはず”のツチ族とフツ族の違いを作り出した

ルワンダには大きくツチ族(=牧畜民)、フツ族(=農耕民)という民族がすんでおり、18世紀にドイツがルワンダを植民地化した際に、ツチ族を間接統治する際の上級民族という設定をしました。

このように、民族間で格差をつけることによって、民族が協力して反発することを防いでいました。

この間に、本来暮らし方や細かい違いがあれど、なかったはずの身分の違いが作られ、民族間に優劣が生まれてしまいました。

これがのちにツチ族に対するフツ族のフラストレーションにつながり、フツ族大量虐殺という悲劇が起きる原因となりました。


②こんなに大勢の人が亡くなるまで、なぜどの組織も動かなかったのか

実際に植民地支配では、このような統治方法は各地で実施されており、間接統治から発生していた揉め事は他国でもあったはずでした。

ここまで多くの人が殺されてしまうまで、なぜどの組織も介入できなかったのでしょうか。

フツ族もすべての人が虐殺をしたかった訳ではなかったのです。

ただ、穏健派であることによって自分も虐殺の対象となる可能性があったため殺し続けるしかなかった。

本来介入するべきの国連は、同時期に発生していたボスニア紛争を優先し、国連"軍"は”上からの命令がないと動けない”と、目の前で人が殺されていても何もしませんでした。

さらに、実はフランスが裏でフツ族を軍事的に支援しており、フツ族を使いルワンダの支配権を持ちたいと画策していました。

また、当時平和維持活動を積極的に行っていたはずのアメリカは、ソマリア内戦での軍事介入によるアメリカ国内の世論悪化影響を受け、軍事介入に対して消極的な姿勢になっていました。

それぞれの果たすべき役割が果たされなかったことで、被害がここまで大きくなるまで、誰にも止められなかったのです。


私たちの責任はどこにあるのでしょうか

虐殺の種は先進国による間接統治によって作り出されました。

その種が、残念ながら、実を結んでしまったとき、先進国の不介入によってかつてないような悲劇が生まれてしまいました。

果たして、それは起こらずに済んだ悲劇だったのではないでしょうか?

私がこの時代に存在していたならば、直接的ではないにしろ、先進国として間接的に虐殺に関わっていたのではないか、と自問自答してしまいます。

現代に当てはめても、先進国の数々の責任によって起きている問題が存在し、そのシワ寄せを開発途上国が受けていることを、今一度、深く考えたいと思いました。

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ここまでお読みいただいた方、誠にありがとうございました。

少しでも気になった方は、是非タケダさんのオンラインStartを受講してみてください!

リンクは下記の通りです。


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