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夜と霧

ヴィクトールEフランクル

★心に残ったフレーズや場面

路面電車に乗る
家に帰る
玄関の扉を開ける
電話が鳴る
受話器を取る
部屋の明かりのスイッチを入れるこんな一見笑止なことを、追憶の中で撫でさする。
追想に胸がはりさけそうになり、涙をながすことすらある

私たちが労働で死ぬほど疲れて、スープのおわんを手に入るとのむき出しの土の床にへたり込んでいる時に突然仲間が飛び込んで疲れていようが寒かろうがとにかく点呼場に出て来いとせきたてた。太陽が沈んでいく様を見逃させまいというただそれだけのために。
暗く燃え上がる雲に覆われた西の空を眺め地平線いっぱいに鉄色から血のように輝く赤までこの世のものとは思えない色合いに絶えず様々に幻想的な形を変えていく雲を眺めた。
私たちは数分間言葉もなく心を奪われていたが誰かが言った
「世界はどうしてこんなに美しいんだ!」

人間の命や人格の尊厳などどこ吹く風という周囲の雰囲気、人間を意思など持たない絶滅政策の単なる対象とみなしこの最終目的に先立って肉体的労働力をとことん利用し尽くす搾取政策を適用してくる周囲の雰囲気。
こうした雰囲気の中ではついには自らの自我がまでが無価値なものに思えてくるのだ
自ら抵抗して自尊心を奮い立たせない限り自分はまだ主体性を持った存在なのだということを忘れてしまう
私という存在は群れの存在のレベルにまで落ち込むきちんと考えることも何かを欲することもなく人々はまるで羊の群れのようにあっちへやられこっちやられ集められたり散らされたりするのだ

人は強制収容所に人間をぶち込んで全てを奪うことができるがたったひとつ与えられた環境でいかに振る舞うかという人間としての最後の自由だけは奪えない
通りすがりに思いやりのある言葉をかけなけなしのパンを譲っていた人々か実際にいた

私たちを取り巻くすべての苦しみや死には意味があるのか
もしも無意味だとしたら収容所を生きしのぐことにに意味などない

収容所にあっても完全なうちなる自由を表現し、苦悩があってこそ可能な価値の実現へと飛躍できたのはほんのわずかな人々だけだったが
人間の内面は外的な運命よりも強靭なのだということを証明して余りある

なぜ生きるかを知っている者はどのように生きることにも耐える
ニーチェ

彼らが生きる「なぜ」を、生きる目的を、ことある事に意識させ現在のありようの悲惨な「どのように」、つまり収容所生活のおぞましさに精神的に耐え抵抗できるようにしてやらねばならない
ひるがえって生きる目的を見出せず生きる内実をうしない生きていても何もならないと考え、自分が存在することの意味をなくすとともに頑張り抜く意味を見失った人は痛ましい限りだった。そのような人々はより所を一切失ってあっという間に崩れていった。
あらゆる励ましを拒み、慰みを拒絶するとき彼らが口にするのは決まってこんな言葉だ
「生きることにもう何にも期待が持てない」
こんな言葉に対して一体どう答えたらいいのだろう

私たちが生きることから何を期待するかではなく
むしろひたすら生きることが私たちから何を期待しているかが問題なのだ
ということを学び絶望している人間に伝えなければならない

生きることとは決して漠然とした何かではなく常に具体的な何かであって従って生きることが私たちに向けてくる要望もとことん具体的である。
この具体性が一人一人にたったの一度他に類を見ない人それぞれの運命をもたらすのだ

具体的な運命が人間を苦しめるなら人はこの苦しみを責務とたった一度だけ課せられる責務としなければならないだろう
人間は苦しみと向き合いこの苦しみに満ちた運命とともに全宇宙にたった一度そしてふたつとないやり方で存在しているのだという意識にまで到達しなければならない
この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引き受けることにふたつと無い何かを成し遂げるたった一度の可能性はあるのだ

苦しむことは何かを成し遂げること
横溢(あふれるほど盛んなこと)した苦しみを抑制したり安手のぎこちない楽観によってごまかすことで軽視し、たかをくくることを拒否した苦しむことですら課題だったのであってその意味深さにもはや目を閉じようとは思わなかった

やり尽くすというように苦しみ尽くす

気持ちが萎え、時には涙することもあった
だが涙を恥じることはない
この涙は苦しむ勇気を持っていることの証だから

ときおり自殺願望を口にするようになって「生きることにはもう何も期待が持てない」という人に
生きることは彼らから何か期待している
生きていれば未来に彼らを待っている何かがある
一人一人の人間に備わっているかけがえのなさは意識された途端人間が生きるということ、生き続けるということに対して担っている責任の重さをそっくりとまざまざと気づかせる。
自分を待っている仕事や愛する人間に対する責任を自覚した人間は生きることから降りられない。
まさに自分がなぜ存在するかを知っているのでほとんどあらゆることにも耐えられるのだ

私たちが過去の充実した生活の中、豊かな経験の中で実現し、心の宝物となっていることは何も誰も奪えないのだ。
過去であることも一種のあることでありおそらくは最も確実なあることなのだ。
人間が生きることには常にどんな状況でも意味がある

未成熟の人間が暴力や権力といった枠組みにとらわれた心的態度を取り今度は自分が力と自由置いのままにとことん躊躇いもなく行使していいのだと履き違える
不正を働く権利のあるものなどいない例え不正を働かれたものであっても例外ではない

堅い良心と優しい人間愛

まとめ
すべては本を読んでいくうちに心に響いたものを書いてます。
ひどい状況下にありながら希望をもち
かつ解放されてからも愛する両親、妻、子供二人がいない現実、また一緒に苦しんだ人たちが解放されても尚苦しむ姿を見て心理的分析をし
後世の我々に残してくれたものについて思いを馳せました。
強制収容所という特殊な場所だからといって(すごく特別なんですが…)今生きている私たちが学校だったり職場、いろんなところで直面している生きづらさやしんどさなど共通する部分はあるなと思いました。
自分の苦しみの中で希望を見出し、その苦しみが自分に「ある」意味それはすごく大切な気づきを与えてくれるんじゃないかなと感じました。
生きてる価値がない!
そう悩む人に対する言葉がけが難しいという相談から紹介いただいた本ですが、何か苦しいこともそれが「ある」ということは何かのメッセージなんじゃないかと味わい尽くして考えたいなと思いました。

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