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(前編)寒覚鬼トンネル-ウルトラマックスGIGAジャンボ餃子店に幽霊現るの巻-

 願い事は口にすれば叶わない。

 だとするならば、私たちは名付けられたその時から、願いは叶わないのだと呪われたようなものだった。

「幸せに恵まれるように」と願われた私、幸恵。
「美しく幸せになるように」と願われたアイツ、美幸。

 私の家庭は父の浮気をきっかけに荒れ果て。
 アイツは英才教育の末に引きこもるようになって。

 私の家は壊れた。
 アイツの家も壊れた。

 私は家出を繰り返し。
 アイツは家に引き篭もった。

 私は誰とも連まなかったけど、
 アイツは引き篭もりながらも会うたびに違う男がそばに居た。

 それでも、小学校の頃からの幼馴染だった私たちは、今でも親友だった……はずだ。私はそう思っていた。

 だから、お前を連れ戻しにきたんだよ。

 私は目の前の明かりのないトンネルを睨む。

《寒覚鬼(さざめき)トンネル》。私の親友が消えた、そのトンネルを。

 ※

「きみ、さ。ミユキの友達なんだろ? あの、さ。聞きたいことがあって、さ」

 五時間前。
 コンビニから出たところで、オタクみたいな変な男が話しかけてきた。
 今買ったタバコの件かと思ったところで、「ミユキ」の名が出て驚いた。
 美幸。
 最後のLINE、「お前の言ってたアニメ、あんま面白くねえよ」に、いまだに既読がついてないから、怒らせちまったかと心配はしていた。

「き、き、きみんとこに、いない? 美幸」

「どういう意味だよ」

「いないんだ。いなくなっちゃったんだよ」

「だからどういう意味だって!」

 変に辿々しいそいつにイライラして、詰め寄る。
 メガネの奥の目を泳がせまくってそいつは言う。

「この前、あの子の部屋で、テレビ見てて。ホラー特集してて。で、で、みゆ、あの子、ほら、美幸。いっつも死にたい死にたいって言っててさ、でも死ぬ方法がわかんないっててさ、でさ、ぼくなんとなくさ、テレビのさ……」

「はっきり言えよ!」

「帰って来れないって心霊スポットなら! 行くだけで死ねるんじゃないって! ぼ、ぼ、ぼく……何となくで、本気にするなんて思ってなくて……」

 まだ火もつけてないタバコが落ちて、水たまりに沈んだ。

 このクソのキモい喋り方でも、こいつが何を心配していて、美幸がどこへ行ったかの見当はついた。

 マジか。いや、は?
 意味わかんない。

 速攻でLINEを開く。「今どこ?」既読無し。電話する。応答無し。美幸の家に電話する。応答無し。バイクに乗る。オタクは放置。美幸の家に行く。ピンポン連打。応答無し。庭に入る。窓叩く。応答無し。てか電気ついてない。「美幸!」応答無し。「おばさん! おじさん!」応答無し。

 無し、無し、無し、無し。

 は? 嘘だろ。
 頭の中を変な考えが巡る。
 その中の一つにはついに狂った親が部屋から引き摺り出した美幸を車に放り込んで海で心中するなんてものもあって、笑ってみるが、引き攣った。

 落ち着け落ち着け。落ち着けってマジで。

 美幸と連絡がつかないことなんてあった。
 いつもしれっと帰ってきてた。はず。

 大丈夫大丈夫大丈夫。あのオタクの心配に吊られてるだけで、実際は大丈夫。
 だろ?

 深呼吸を繰り返して、LINEをもう一度見返す。
 既読はついてない。
 もう一つ深呼吸をした時、肺が凍った。
 VoomっていうLINE版インスタのストーリーみたいな機能に、新着があった。
 いつから? わかんない。
 変な確信と共に、それを見る。
 真っ黒なアイコンに「ミユ@タヒにたい」
 美幸のアカウントだった。

 日付は2日前。
 どこかの山奥のトンネルを前にした写真が一枚、アップされていた。

 ※

「美幸? いるか?」

 反響が怖くて小さな声で叫ぶ。
 そのトンネルは歩行者専用のものらしく、駐輪場の人用出口みたいに柵が入り組んでいたから、バイクは置いてくるしかなかった。
 スマホのライトで先を照らすけど、先までは見えない。せいぜい地面とか、天井とか、壁を照らすだけだ。
 それでも見える、地元の不良が書き残したであろうグラフィティに人の気配を感じて、少し安心した。

「美幸ー」

 一応呼んでるけど、これは意味があるのだろうか。どことなく形式的と言うか、アニメとかドラマで見た人探しのシーンをなぞってるだけみたいだなと思って、それを最後にやめた。
 もし美幸がまだいるなら、一本のトンネルなんだから歩いていれば見つかるだろうし、2日経って同じトンネルにまだいるともあんまり思えない。

 それに……別のものまで呼び寄せてしまったらと思うと、足がすくんだ。

「……バカくさ」

 それは、何に向けて言ったんだろう。
 消えた美幸にも、呼びかける私にも、言ったような気がする。

「ユキちゃん」

 美幸は、私のことをそう呼んでいた。「ゆきえ」「みゆき」、どちらも「ゆき」なのに。

「ユキちゃん……ユキちゃんは、ずっと私のそばに居てね」

 記憶の中で、虚な目をした美幸が、それを私に向けてもないくせに言う。

「お願い、約束して。お願いだから……」

 だったらせめて私を見ろよ。
 だったら……せめてさ。

 ※

 拳が痛い。
 不良だ不良だと自分で思っていたけど、それは、ぶってるだけだった。
 人を殴ったのは、その日が初めてだったから。
 人を蹴ったのも初めてだった。踏んだのも。
 全身をがむしゃらに暴れさせたから、本当は全身痛いようなものだった。だけど今は手が痛い。一番近いそれしかわかんない。
 美幸の二番目の男を、私はボコボコにしていた。

 気分が悪い。

「お願い、約束して……」

 何言ってるんだよ美幸。お前、今こいつに襲われかけてたじゃんか。服破けてるじゃんか。顔腫れてるじゃんか。私の話なんてどうでもいいじゃんか。

 言いたいことはたくさんあった。
 だけど心臓が跳ね回って肺がバカみたいに伸び縮みして、何も言えない。
 暴力の取り返しのつかなさを実感するのに私は忙しかった。

 美幸はとにかく寂しがりだった。病気だと思ったくらいに。

 美幸の親は救えないほどのバカだった。大バカだった。大人であんなバカは見たことなかった。
 甘えたがりの子供の頃の彼女に対して、親の愛を報酬制にしたのだ。

 テストで百点を取ったら一緒に公園に行ってくれる。
 ピアノの発表会がうまく行ったら一緒に遊園地に行ってくれる。
 塾の成績が良かったらほしいものを買ってあげる。

 そんなのあるあるだし、私んちにもそんな取り決めはあった。一つとしてできなかったけど。

 でも、美幸の家庭は異常だった。
 百点が取れなかったら家族の間に会話はなかった。
 うまく行かなかったら家族の間に会話はなかった。
 成績が良くならなかったら家族の間に会話はなかった。

 美幸は焦った。いい成績を出さなければ両親から無視をされる。でも、焦って勉強しても練習しても身につかない。百点は取れないピアノはトチる塾の成績は最底辺。

 会話はない。
 ずっと。

 そして美幸は諦めた。

 親の愛を諦めた。

 だから他の愛を求めた。

「ユキちゃん。どこにも行かないで」

 ああもうクソが!
 私は今でもあの日の暴力の整理がついてないってのに!

 ※

 トンネルは暗い。
 かろうじて月夜が照らしていた入口も、今や遠くなっている。
 ライトを使っているスマホの画面には、このトンネル、「寒覚鬼トンネル」についての話が表示されていた。

 大正が始まって数年のこと。
 近代化に取り残されつつあったこの付近の村は、トンネルを切り開く工事に反対していたらしい。
 しかし工事は強引に行われた。
 村の住人は工事をぶち壊すべく、神様に願ったらしい。一人の子供を生贄に捧げて。
 結果、作業員が次々に工事中に怪死を遂げる。
 村の住人は万歳三唱の後、その亡骸を十メートルほどの建設中のトンネルに放り込んで封鎖したらしい。
 それなのに、封鎖はいつの間にか解かれていた。
 不審に思った村人がトンネルを覗くと、なんと十メートルで終点が入り口から見えたトンネルに続きが現れ、先が見えなくなっているではないか。
 恐る恐る足を踏み入れた住人は、ついぞ帰ってくることはなかった。

 そのトンネルは今もあって、中を通る人間は、必ず消えてしまう……。

 そんな結びで終わっている5ちゃんホラースレまとめから目を上げると、そのおっかないトンネルの壁にはグラフィティでこう書かれていた。

 FUCK!

 ロックですね。

 ※

 美幸、お前は多分、私がいなくても生きていけるよ。

 生きていけるけど、寂しくてたまらない日は必ずあって、お前はそれが怖いんだろ?

 だから、保険として私をそばに置いておきたいんだ。

 月曜日から金曜日までは他の男とか、気分で、寂しくないけど、土日は寂しい。だからその穴埋めをするために私を確保したい……みたいなことだろ?

 お前は最初から私なんて見てないんだ。

 寂しくなければ何でもいいんだ。

「ああ、わかった。一緒にいるよ」

 そう約束してやったのに、三番目の男を作ったのは、だからなんだろ?

 お前のそういうところが嫌いだよ。

 お前なんか大嫌いだ。

 ※

 一体どれだけ歩いただろう。
 わからない。

 気がつけばトンネルの壁に描かれたグラフィティはもうなくなっていた。

 そんなこと、あるのか?
 ちょっと思う。

 いや、あるだろう。
 そうとも思う。

 だけど、おかしい気もする。
 だって、これまでびっしり壁を埋めるように描かれていたイラストや文字たちが、入り口から遠くなるにつれて少なくなるなんてことあるのか。

 不良の私としては、心霊スポットに肝試しに来たのならできるだけ奥の方にサインを残したい。
 それに、トンネルの【反対側】から入る奴だっているだろう。
 つまり、どうしたってトンネル内は誰かの痕跡が必ずどっかにはあるんじゃないのか?

 トンネル、全部で何メートルなんだろ。

 不意に気になり、ググろうとしてスマホのブラウザのホラースレまとめから新たに検索欄を開こうと、する。

「あれ」

 しかし、検索欄は開かなかった。
 Googleホームページすら出てこない。
 代わりに、「インターネットに接続されていないので開けません」とあった。

「うそっ」

 今更気づく。圏外になっていた。
 霊的な――と思いかけて、頭を振る。
 いやいや、山奥のトンネルなんだから。あるあるだ。

 だよね?

 けれど、辛うじて繋がっていたようなか細い命綱が切れてしまったような、心細さが私の胸をじわじわと蝕んでいく。

 美幸、いるならいるで早く出てきてくれ。
 いないならいないで、早くトンネルが終われ。

 そう思って、読み込むことを諦めたスマホを構えなおし、正面にライトを向けると、そこに美幸はいた。

 ※

「わたしもユキちゃんみたいに、髪の毛染めようかな」

 ※

「……美幸?」

 結局一度も染めることなんてなかった黒髪をトンネルの地面にベッタリと投げ出すようにうずくまるその姿は、土下座してるみたいだった。

「美幸!」

 だけど、その髪の毛の合間から見える手首には何本もの消えない傷があって、私はそれを見慣れていて。

「大丈夫か! なあ、おい!」

 ※

「わたしね、ユキちゃんみたいになりたかったな」

 ※

「生きてるか? しっかりしろって! ……起こすぞ」

 ※

「おんなじくらい不幸なのに、おんなじくらい孤独なのに、ユキちゃんはちゃんと生きてた」

 ※

 私は美幸の脇に手を入れて、ひっぱり起こす。
 予想以上に重たい。まるで地面と溶け合ってるみたいで。

 べりべりと……。

 ※

「ユキちゃんは強いね。わたし、全然ダメ。お父さんとお母さんのことが嫌いで、でも依存してるの」

 ※

 べりべりと。

 ※

「離れられないの」

 ※

 べりべりべりべりべりべりべりべりべりべり。

 ※

「誰からも離れられないの。どうしても離れられないの。男と離れられないの。浮気されても、殴られても、無視されても、乱暴されても」

 ※

 べりっ。

 ※

「何もかもから離れられないの」
「なのにユキちゃん。どうして。どうして……」

 ※

「どうしていなくなったの?」

 美幸が言う。
 顔面がべりべりに剥げて、目玉がなくて、顎がなくて、鼻がなくて、肌もなくて……。

 “何にも”ない。

 美幸の顔は、まるでこのトンネルそのものみたいに闇が奥へ奥へ奥へと続いていた。

「み、ゆき……」

「わたしには何にもないのに、ねえ、どうして?」

 怖い。

「約束破ったの、どうして?」

 その闇は美幸の闇そのものを覗き込むようだった。

「ねえ」

 スマホが落ちる。どこか壊れたのか、光が消える。闇が満ちる。後ずさる。トンネルの壁に背が当たる。

 ずるっ、と背は滑る。

「ねぇえ」

 美幸が来る。

 トンネルの奥から……何かが聞こえる。

「ねぇええええ」

 子供の笑い声だ。
 くすくす、くすくすと、意地悪な笑い声だ。まるで今から酷い劇が始まるとわかっているような。

「答えてよぉおおおおおオォオオ」

 突然、美幸は私の体を壁に押し付けるようにして覆い被さる。

「美幸! やめろ! やめてって!」

 躊躇い傷の見える手首が、想像もつかないほど私の腕を強く掴む。
 目の前で美幸の“何にもない”顔が、膨れていく。
 私を飲み込むために。
 闇が濃くなる。
 首が伸びる。肉が伸びてぶちぶちと裂ける音が聞こえる。

 美幸の体は、最早人間とは思えない。
 そこにいるのは、トンネルのような化け物だった。

「美幸! みゆき! みゆきーっ!」

 トンネルの奥の笑い声は反響を繰り返して私たちを包む。くすくす、あはは、きゃはは……。

 美幸というトンネルという闇が、私の頭を飲み込もうとする。

「あぁっ! あーっ! あああーっ!」

 私はもう、闇しか見えない。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


後編に続く

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