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伝統文化の藍染を初心者が体験してみた話①

2021/12/09(木)

はじめまして。金井ゼミ二期生の武沢涼介と申します。
note記事をまとめるのは初めてなので、温かい気持ちで読んでいただければ幸いです。

金井ゼミnoteでは『ゼミ活動の「面白い」を共有していきたい!』というコンセプトのもと、体験や学びについてお送りしていきます。

今回は11月中旬にゼミ実習の一環で行った「藍染体験」について、感想を交えつつまとめていきます。
その前に、藍染に触れるにあたって事前学習で得られた知識について、せっかくの機会なので書いてみようと思いました。

実際の体験の様子は→「伝統文化の藍染を初心者が体験してみた話②」で詳しくお話しします。

「藍染」ってなんだろう?

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https://s-seihin.jp/product/1098/

皆さんは「藍染(あいぞめ)」をご存知でしょうか。

藍染とは、藍(蓼藍たであい)を発酵させて染料にし、それを用いて衣料品などを染める手法のことです。
ハンカチやマスクなど、身近に藍染を感じられるような製品もたくさん販売されています。最近では、東京オリンピックの公式エンブレムカラーとして藍色が採用されこともありました。

昔ながらの技法で生産される藍染は「本藍染」と呼ばれ、無形指定文化財に指定されています。
現在では、合成染料やインド藍など安価なもので代用できるようになったため、手染めによる本格的な「本藍染」は減少傾向にあります。全国各地の藍染職人が伝統を継承しているという現状です。

それでは「藍染」と聞いてどんなものを思い浮かべますか?
例えば”お祭り”というイメージがあるかもしれません。

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http://rekishi-roman.jp/miya-2/page-06.html

藍色に染まった半纏は、お祭りの象徴として深く浸透しています。そこから、藍染というのは「”ハレ”の日に身に付けるもの」という連想ができても不思議ではありませんね。
他にも”高級感”や”気品が高い”など、特別な印象を持たれていることも少なくありません。
以前、私が祖母へ藍染のハンカチをプレゼントした際も「まあ、こんなに高そうなものを…」とびっくりされたものです。


しかし藍染の歴史をたどってみると、意外にも庶民向けの文化だったことが分かってきます。

藍染の歴史─ジャパンブルーと呼ばれた藍色

藍染の歴史は非常に古くからあります。
それらを紐解くために日本から離れ、遥か昔までさかのぼってみましょう。

時代はなんと、紀元前3000年まで遡ります。インダス文明の遺跡から藍染めの染織槽跡が発見されたという記録が、藍の存在が世界で初めて確認された時期と言われています。それから時は流れ、紀元前300年頃になるとシルクロードを通じて文明の交流が始まり、藍染の布製品が盛んに行き来していたこととされ、インドやエジプトを中心に世界各地に藍が流通していきました。

AI/TOKUSHIMA 藍の基礎知識
 https://ai-tokushima.jp/aitoha/  20211209

発祥については諸説あり、紀元前6000年に発見されたという説もあります。
人類最古の染料」という呼称もあり、長い間人類と深くつながっていたという、まさに伝統が感じられます。

『藍染といえば、日本の伝統文化じゃないの?』と思ってしまいそうですが、実は今でいうインドのあたり。遥か南アジアで誕生し、日本に伝来したのはまたしばらく後のことです。

ちなみに日本における藍の歴史は、奈良時代に遡ると言われています。当時の唐から朝鮮半島を経て伝来されたと言われ、法隆寺や正倉院に当時の藍で染められた布類が、今もなお多数保存されています。

AI/TOKUSHIMA 藍の基礎知識
 https://ai-tokushima.jp/aitoha/  20211209

実は、藍染が日本に伝来したのは奈良時代でした。
世界の歴史から見れば、日本で普及してからまだ日が浅いように思えます。それにもかかわらず、日本のイメージカラーとして藍色が採用されるようになった背景にはどのような経緯があったのでしょうか。

きっかけは、庶民のささやかなお洒落

藍染が一気に普及したのは、江戸時代に入ってからのことでした。
この頃の庶民は、華美な装飾品を禁じられており、また紫・紅・梅色などの高貴とされる色を身に付けることは許されませんでした。
そんな中、お洒落をしたい庶民が目をつけたのが藍色です。
控えめながら鮮やかで深みを感じさせる奥深い色は、たちまち庶民の間で人気のカラーになりました。

着物や作業着、のれんにのぼり、そして生活雑貨に至るまで、あらゆるものに藍染を用いた製品が盛んに作られていました。

水野染工場 藍染とは?藍の持つ効果と歴史 
https://www.hanten.jp/column/aizome/indigo1  20211209 


「ジャパンブルー」が誕生する

このようにして庶民の間で広く根付いた藍染の文化はしばらく続いていきます。デザインの他に、染めやすさや効用など実用性の面でも藍は優れており、ますます勢いを伸ばす中、やがて明治時代へ突入します。

その頃、日本では鎖国が解除され海外から多くの来訪者が現れました。
彼らが日本の街並みを眺めていると…そう、見るところすべてに”藍色”にあふれていたのです。思わず口をついて叫んだ言葉が「なんて美しい青色だ。これはまさに”ジャパンブルー”じゃないか」と。
そんな逸話があります。(有力な諸説のようです)


そんなわけで、藍染が日本の伝統文化として認識されるようになったのは、つい最近のことだったようです。
それが昭和に入ると合成染料やインド藍などの利便性と安さに押され、いつしか本物の藍染は衰退の一途をたどり───現在は希少で高価なイメージになってしまった。というのが一連の歴史でした。

歴史の背景を知ると、藍染は案外身近なものだったということが分かります。また、人気の一端を担っていた藍の実用性の高さは見直されつつあり、例えばウイルス予防に効果を発揮すると言われている「藍染マスク」なども昨今の世の中では注目株かもしれません。


「おしゃれ志向で、さらに実用性も高い」という素晴らしい側面に焦点を当ててまとめてきましたが、ここで一つの疑問が湧いてきます。
『いくら身近で庶民派といっても伝統文化だから、やっぱり自分で染めるのは難しいんでしょう…?』

───実はとても簡単です!
道具と場所さえ用意すれば、初心者でも今日から始めることができます。



ということで次回は、私たち金井ゼミ生が実際に藍染体験をした様子についてまとめていきたいと思います。


最後まで読んでいただいた読者の皆様ありがとうございます。
次回の更新までお楽しみに。

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