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内申点

公立中学校には内申点があるから私立受験するという声をよく聞く。内申点がそれなりに高かった立場だが、大いに賛成だ。

内申点システムは、不平等そのものである。
その学校の中で相対的にどの位置にいるのかを測るのにすらあまり向いていないというのに、別の学校に通うもの同士を比較するツールとしては不適切としか言いようがない。


中学で内申を得るために必要なのは、学力ではなく媚び力である。授業中には積極的に手を挙げ、授業の後には質問に行く。英語の授業であれば、授業後に担任の耳元で英語で歌を口ずさむ。
中学生という多感な時期、注目を浴びるのが苦手な子どもは、いくらテストの点数が高くても、良い内申点は得られないのだ。

自分は時代に恵まれたこともあり、シャイながらノートや提出物の質で媚びを売り、テストで文句のない点数を取り続けた結果、体育以外オール5の評定を得ることができた。
ただ、テストの点数よりも態度を重視する今の時代では、こんなに良い内申点を得られなかったと思う。

なお、中学の同級生にオール5は3人いたが、全員が生徒会や学級委員を務める教師に好かれる能力があった生徒であり、テスト成績はトップ層と比較すると芳しくはない生徒だった。

また、内申点は評価基準がおかしいだけではない。内申点をつける教師の質まで信頼できないという問題まである。
一例で恐縮だが、同級生(いじめっ子だった)は偏差値43の高校から正直聞いたこともない大学を卒業し、県内の公立中学校で正規雇用の英語教師をしている。
学歴が全てではないと思うが、私のような生徒は「なんで自分より頭の悪いやつに、成績をつけられなければいけないのか?」とやる気をなくすことだろう。

ちなみに、中学では体育以外オール5の自分だったが、高校では落ちこぼれで、進学先も高校の中では奮わない方であった。
一方、東大に行った同級生は、オール5どころか数学すら4だったという。
東大の数学を解ける人間より、落ちこぼれ私文の方が内申点が高いというのだから、内申点なんて全く信頼できないと思ってしまうし、中学受験を考える親もそういう認識なんじゃないだろうか。

公立中学校の再生無くして教育格差の解消は語れないと思うが、まずは不条理な内申点システムを潔く廃止してはどうだろうか。あるいは、高校のようにテストの点数だけで評価するのはどうだろうか。