見出し画像

英語の授業

英語の授業に、その学校の学習意欲が現れると思う。

授業の質や内容の話ではない。
例えば「dog」や「cat」という単語があったとする。
これをどう発音するか。

学びを軽んじる(学ぼうとするものを馬鹿にする)学校では、カタカナ英語以外は許されない。本気で発音すれば、嘲笑の的になるだけである。
一方、生徒が学びに真剣な学校では、カタカナ英語こそが馬鹿にされるだろう。

私の通っていた公立中学校では、例に漏れずカタカナ英語以外は許されていなかった。
英語を話せるようになりたいと思っていても、教室の独特な空気の中、浮くわけにもいかない。
結局カタカナ英語を話すほかないのである。

しかし、進学校と言われる高校に進学したら、周囲の英語の発音は180°異なっていた。みんながみんな、アメリカ人みたいな発音をするのである。
しかも、身振り手振りつき。

高校の方が授業自体の質が高かったとは思わない。だけど、周囲の授業から少しでも吸収しようという姿勢は大きく異なった。

中学からそんな環境で育つことができれば、恥ずかしがらずかっこいい発音で英語を話すことができたかもしれない。もっと英語の授業が好きだったかもしれない。そう思うと、少しだけ悔しいのだ。