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国際日本学部 平山ゼミナール 沖縄合宿に参加して

国際文化交流学科の平山昇先生が開いているゼミナール。この夏休みには、沖縄で合宿を行いました。その体験を経営学部国際経営学科二年の藤原佳枝さんがレポートしてくれました。(編集部)

はじめに

 私は、国際日本学部平山ゼミに参加している経営学部二年の藤原佳枝です。今回平山ゼミでは夏休みを利用して沖縄で合宿を行ってきました。なぜ沖縄で合宿を行ったかというと、前期のゼミである文献を読んだことが関係しています。
 前期のゼミの講義で、櫻澤誠『沖縄観光産業の近現代史』(人文書院、2021年)という研究書を輪読しました。その中で、戦後のアメリカ軍統治時代から現代にかけて観光地としての沖縄の姿が大きく変化していることが分かりました。
 皆さんは沖縄にどのようなイメージを持っているでしょうか? 「戦争」が真っ先に浮かぶでしょうか? 77年前アメリカ軍が上陸して戦地となった沖縄が、どのようにして今のような観光地になったのか。実際に沖縄に行ってみて、考えてきました。

本州から船で沖縄へ渡る

 いきなりですが、私たちは今回フェリーで沖縄に行きました。鹿児島県の鹿児島新港から沖縄の那覇港まで25時間の船旅。丸一日船に乗っていました。これにもきちんと理由があります。現代では本州から沖縄に行くときほとんどの人が飛行機を使うでしょう。しかし飛行機が発達するまではもちろん船が主流であり、『沖縄観光産業の近現代史』には昭和戦前期には大阪から沖縄まで最速でも5日かかっていたと書いていました。それならば、私たちも船で沖縄に行ってみようとなったわけです。それにしても、今の時代に本州から沖縄にわざわざフェリーで渡ろうとする人は、飛行機が嫌いな人か船の甲板でビールを飲むのが大好きな平山先生くらいかもしれません。

沖縄国際大学と合同ゼミ

 沖縄での活動の一日目は、沖縄国際大学の市川智生先生と同大の学生とともに合同ゼミを行いました。沖縄国際大学は、2004年に大学の敷地内に米軍ヘリが墜落するという事件があった大学です。教室からは普天間飛行場から離陸する米軍機が良く見えます。私たちも米軍の存在を身近に感じながら合同ゼミを行いました。内容は先ほどから紹介している櫻澤誠『沖縄観光産業の近現代史』の書評会です。平山ゼミ生が書評報告を行い、それぞれが意見を出し、議論し合いました。沖縄に住む人々から見た沖縄の姿は、やはり本州で暮らす私たちとは違ったものでした。沖縄という観光地に、実際に住んでいる先生と学生から話を聞くことができてとても有意義な合同ゼミでした。戦争に関して、沖縄の若い世代のなかには思ったよりも重く捉えていない人もいるという印象を私たちは感じました。

沖縄本島の戦跡巡り

 二日目は沖縄本島南部の戦跡巡りを行いました。海軍司令壕から周り始めて、ひめゆりの塔に平和祈念公園など言わずと知れた沖縄の重要な戦跡を巡りました。戦跡を巡る中で、自分が今立っている場所で戦争が行われ、多くの命が失われていったという事実に深く考えさせられました。高校までの日本史では語られない戦争の恐ろしさを知るとともに、ひめゆりの塔では私たちよりも若い人々が戦闘に参加せざるを得なかったということを知り、何とも言い難い感情を持ちました。
 知名度のある戦跡を巡る一方で、私たちは、バックナー中将戦死之跡というあまり知られていない戦跡を訪れました。バックナーとはアメリカ軍の歴史の中で、最高位で戦死した軍人です。このバックナー中将戦死之跡は『沖縄観光産業の近現代史』に掲載されている観光地リストの表の中に含まれており、気になった私たちは実際に行ってみることにしました。行ってみてわかったことがあります。私はこの記念碑は米軍が日本政府に作らせたものだと予想していたのですが、実際は沖縄県護国神社の創建にかかわった沖縄県慰霊奉賛会が作ったものでした。その場で、先生を含むゼミ生同士で様々な考えが生まれ、意見交換を行いました。現在は観光地としてはほとんど機能しておらず、現地のタクシー運転手も知りませんでした。

77年前戦地だった沖縄に行って感じたこと

 平山ゼミの合宿で沖縄に行ったことで、先生を含めてゼミ生みんなが行く前と行った後で、沖縄に対する「戦争」と「観光」のイメージが変わったと思います。最終日に私たちは、今回のゼミ合宿の振り返りを行いました。その内容は沖縄だけでなく広島や長崎も含めた日本の戦争に関わる観光地についてです。
 皆さんは沖縄・広島・長崎に同じように戦争のイメージを持っているでしょうか。話し合いの中で出てきたのは、出身の都道府県によって各地のイメージが異なるというものです。平山先生は長崎出身であり、長崎はもちろん広島と沖縄も地理的には近いため、戦争のイメージを強く持っていました。これは土地柄、学校や地域などで被爆地として自覚する機会が多かったのかもしれません。
 しかし、私は東北の宮城県出身です。広島と長崎の原爆、沖縄戦は教科書で知り得る知識量が基本です。沖縄はレジャースポットのイメージもかなり強いです。ほかにも出身県により沖縄・広島・長崎のイメージは違っていました。これは大変重大な事だと思います。被爆地や戦地の記憶が風化してきてしまっている上、都道府県によって戦争の教育内容やイメージに差が生まれてしまっているのです。
 さらに私は沖縄に行って強く感じたことがあります。それは沖縄の若い世代の人々が、戦争が行われた土地に住んでいるという意識があまりなくなってきているのではないかということです。現在の沖縄は戦争よりも、温暖な気候を生かしたレジャーを観光の主軸にしているように感じます。沖縄に行って戦争の酷さ、命の尊さを知った私は、戦争があった事実を風化させてはいけないと強く感じています。この文章を読んでくださった方は、少しでも良いので戦争について考えてみてほしいです。それだけで戦争の記憶の風化を止める一歩になると思います。

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