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そして農婦へ

7月中頃からここまで、ムン島とコペンハーゲンの王立病院まで車で、または途中まで車、残りを交通公共機関を使うコンビで通勤してきました。ムン島が遠いことはわかっていた、わかってはいたけれども、ここまで遠いとは…。片道1時間45分、朝は確実に渋滞に巻き込まれるので、2時間を超えることも。

それでも朝出勤して同僚達に会い、彼らや患者さん達に必要とされているということを感じながら仕事をしていると、「やっぱり続けたい、辞めてしまうのはもったいない」と未練がましくなります。

「辞めて何するの?新しい仕事は見つけたの?」とはほぼ100%の確率で聞かれることです。共働きが当たり前、仕事に就いていないというのは、自分の意思ではないことが前提(リストラや病欠など)なデンマークなので特に失業率ほぼ0な看護職では、みんな当たり前のように、私が地方の病院に転職するんだろうと思っています。なので、「いや、何も見つけてません。農婦になるので…」と言うと、意味がわからない、という顔をされます。

これは私のパラノイドなのかもしれませんが、移民政策が厳しくなった2004年にデンマークにやってきて以来、ずっとデンマーク社会に溶け込め、そのためにはデンマーク語を話して職につかねば追い出されるという強迫観念で暮らしてきました。何もしないのは税金の搾取だ、仕事をしない=税金を払わない=社会の一員ではない=自国に帰れ、と、特にイスラム教の女性が専業主婦で家にいることがターゲットにされて中傷されているのを見たり、日本ほどではないにしろ、専業主婦が多く存在するアメリカの女性が「ここでは専業主婦って自己紹介すると、人権を侵されてるような哀れみの目で見られる」と言っているのを聞いたりしてきたので、看護師免許を持っているのに仕事をしない道を選ぶことに、とても後ろめたいというか、堂々と「農婦になります」とは、言いづらさが未だにあります。

なので最初のうちは「(次の仕事)見つけるまでちょっと休憩するつもり。そこからぼちぼち考えるわ」みたいに、すでに農婦になると決めていたにもかかわらず、なんとなくお茶を濁してきました。仕事も楽しいし、やりがいがあるし、なんとなくなあなあで行きそうな気配の8月だったのですが、そんなある日、同僚で、ぶつかることもあるけど、一番仲のいいリーネが、「新しい家で色々プロジェクトを試して失敗したりしてるのはいいけれど、ここでそれをされるのはね。辞めた後もあなたがちゃんと責任をとってそのプランをやり遂げてくれるなら別だけど?」とガツンと言ってくれたおかげで、すっぱり辞める決心が。

彼女の受け持ち患者さんが、彼女のホリデー中にトラブルに遭っており、問題解決のために私がプランを大々的に変更してしまったことをが、彼女の怒りに触れたのでしょうが、(言い方はともかく)彼女の言っていることは正しく、一気に目を覚まさせてくれました。

慢性期疾患の患者さんは、生涯にわたって病院に通ってきます。病気と毎日暮らす彼らにとって、スタッフが代わってプラン変更をされることは、とても大変なことです。私が糖尿病や慢性期の患者ケアを選んできたのは、「病気と生きる彼らと一緒に歩いていく」ことがやりがいだったからで、それができない、継続できないなら、私は辞めるべきなんだなと。

私の不定期通勤に合わせるために、色々と骨を折ってくれたヘニングのためにも、また、配達人や職人さんが出入りしたり、家にいないと困ることもあるので、仕事を辞めて家に専念しようと決めました。が、まだ後ろめたさはあります。農婦といってもまだ畑すら耕せていないのもあるけど…。何気に根強い、デンマークインテグレーション政策の後遺症。

そんなわけで、9月8日をひとまず最終日とし、5年働いた王立病院を去り(でも主任の希望で籍は残してある。近い将来リモートワークが可能になった時のために)、家の改修にほぼ毎日を費やしているわけですが、1800年代の古い家、色々あるわけですが、それはまた今度。

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