手を挙げるということ

小学校の選挙制度について

立候補者を募って、立候補者が一人しかいなかった場合
他の子から異論があったとしても
その子が当選するのと違うのかしら??

推薦者をクラスで話し合って何人か選出して
その子たちと、立候補者を同じ条件のもと選挙する

立候補者落選

これ、学級委員や班長、係決めで毎回行われている

なんで??

立候補したくてもできない子がいるから
その子のために・・・

は???

できないなら、なれなかった悔しさを味わって
次は立候補しよう!!って思えるようになるんじゃないのかしら

自分の意見を言えて、やります!って表明した子は
それを乗り越えてできているわけで
そこはほったらかし

そして、あなたはみんなから支持がないからできませんって
公開処刑もいいとこ

一般社会での選挙でも
推薦からの立候補はある
それでも立候補なの
いくら推薦されてもやると本人が決めて立候補するの

だけど、学校のそれと大きく違うのは

①推薦された人が、自分でやると決めないこと
推薦された人の意思は聞かない
みんながやってほしいっているからお願いね!みたいな。

②投票者の母数や背景が違う
クラス内で推薦する人を決めて、クラスの人しか投票しないのに
そこで名前の出なかった子の中で立候補したい人を募り
選挙すること

当たり前だけど、この順番で選挙したとき
立候補者が当選する確率はほぼほぼゼロ

立候補者を先に募って、その後推薦者をクラス内で決めたとして
立候補者に満足していたらそれでよくて
他になってほしい人をあげてくださいって出したなら
当然、立候補者ではダメだよね、の雰囲気が伝わる

これを毎回続けたなら
立候補した子は、わたしはダメなんだって
次から発言することを躊躇するようにはならないのかな。

いつもいつも誰かに推薦されてリーダーになる子は
いつか自分でやりますって言うようになるだろうか。
わたしはならないと思う。

誰かに自分の花道を作ってもらう、作らせるような
いつも誰かから押し上げてもらう事を期待する人間になるだろう

娘の担任は、立候補したけどダメだったら
自分はまだまだだから、もっと頑張って認められようって
みんなのために動くから、そんなになることはありませんっていうの。

誰も彼も、そんなにメンタル強いのかしら?
そもそも、小学生に対して、もっと頑張るために
自分を磨くために、ダメな事を知りなさいって
必要なのかしら??

できたよね!っていう成功体験の方がその子の可能性を育てることになると思うのだけど。。

自分はそうは考えないし、自分の知っている人はそうだから
他のことはわかりませんって平気で言える人が先生って。。

経験してないことはできないんです。わからないからって
いやいやそれ、戦争経験ないから、体験しないと戦争はダメって
わからないんですって言ってるのと同義語ですが。
めちゃくちゃ恐ろしいことだと思うのだけど。

想像力ってなんのためにあるのかしら

40人もいるクラスで、生まれて育った時代背景も違う子どもが
みんな自分と同じ考え方をすると思えていることが
もう理解不能🤷

だって、みんなから信頼のある子を選びたいし
でも、やりたいっていう子の気持ちも汲んであげたいし

いい人ぶって、みんなにいい顔して
無駄に人を傷つけていることに気がつかない

どっちを優先させるのか
先生の中がブレブレで、そりゃどっちもある子が一番理想だけど
なっかなかいないし
もしいたとしたならば、毎回なんでもその子がやって
他の子がリーダーを体験できることはないでしょうね

それ以外にも、立候補させるだけさせといて
先生が決めますねって立候補してない子が選ばれたり

もう、意味がわからない

それでもめげずに、やりたいと思ったら手を上げる娘は
すごいなと思うけれど
流石に凹んでいて(昨年からクラスは変わったけど5回目)

これ以上、あの人の可能性をブチブチ切ってしまうような環境を
続けていくのならば
わたしの権限でこの学校には通わせないって話してきた

そもそも、学校に期待はしていないけれど
話すのもしんどくなってきたな。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?