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#5 奏は普通じゃなかったから


入学して少し慣れた頃、母から


「学校前に一緒に行くところがあるから」

と母の自転車の後ろに乗りついて行った。


着いた先は他校にある︎︎ ︎︎ ︎︎"︎︎聞こえの教室︎︎ ︎︎ ︎︎"︎︎


正直、何をしてたかは詳しく覚えてないけど。


積み木のようなものに絵が書いてあって。


それはなにかってのを答えたり、そんなようなようなことをしてたよう気がする。

聞こえの教室には週に1度午前中だけ。

その週1の送り迎えは母がしてくれてた。

午後は学校に戻り、みんなと通常授業。

2年からは週一で特別支援学級に実は通ってた。

最近の話だけど、なんで通ってたのかと母に聞いたら


「奏は普通じゃなかったから」と。


今これを読んでる人は「普通じゃない???」



と頭の上にはてなマークが出てきたんじゃないかなって思う。



小学時代は特に癇癪起こす子で、すごく泣いてた。

すぐ手が出る子。

そして物覚えもものすごく悪かった。


小学二年生の頃の九九のテストでも全然出来ずにずっと居残り。


50問テストとかもなかなか合格できず1ヶ月ぐらい小学生ながら居残りしてた気がする。


何度やってもなかなか覚えない。



ガキながら「出来損ない子だ」と自覚してた。



けど、めちゃくちゃ頑張ってできた時は



とっても褒めて貰えたしそれは嬉しかったなーって思う。

まぁ覚えるってのができないけど、その反面ものづくりに関してはこの頃からずっと好きだった。


工作でお弁当を作ってみよう!
みたいな授業の時は1人で10個近く作るほど
(作りすぎ笑)



出来ることと出来ないことにものすごく差が出ていたけど。



母からは「勉強しなさい」と言われたことはない。


それがあったおかげで少し気楽に居られた自分はいる。


そしてそして、母が「普通じゃない」と言ったのは。


次男のお兄ちゃんがグレー児だったから、多分それが大きいと思う。


私はその兄を見て育ったから、兄に似たのかもしれないとかは今なら思う。



今日はこの辺で。
自分は周りと違うとすごく思ってました。
けど母からは「行ってきて」って言われるがままでした。
行く先は楽しかったからまだ良かったですが。
みんなと同じにできないということ出来損なく感じてとても悲しい思いを何度もしたなって思い出しました。
最近になりなぜ通っていたかって理由が「普通じゃなかったから」ときいて少しイラッとした自分はいましたね(^q^)ww

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