「自分らしさ」と「はたらく意味」

久しぶりにnoteを更新したら面白そうなハッシュタグ

#はたらくってなんだろう

それはそれは今のあたしにうってつけ。少し話をします。


私は今大きな決断をしたところです。

それは退職。年度末で退職します。

12月に入って上司に伝え、すったもんだありましたがようやく承認されたところです。

10年働いた精神科の病院。今は病棟主任にまでなりました。



このまま勤めていれば昇進していくのはなんとなく想像ができて。それが理想だという人もいます。

ただ、私は違いました。

このままこの組織の一員で、この組織に自分を捧げて生きていくのが私の望みなのだろうか。

この病院で精神科看護を極めるのが私の夢なのだろうか。

今の生活が本当に自分らしい生活、人生だと言えるのだろうか。



答えはNO

最近noteやTwitter、YouTubeなどSNSでいろいろな考えを知り自分の視野が広がったからかもしれません。

現状への満足度はかなり低く、それは自分の首を絞めているような感覚すら持つようになっていました。



今、中間管理職として勤めている心労、ストレスは莫大です。


帰宅後ぐったりして動けなくなることも多々あります。

まだ小さい三兄弟がいるので、本当なら遊んでお話聞いてあげたいのにそれもできない。やりたい習い事に行かせてあげられない。そんなのどこに魅力がありますか?



これまでは、後輩指導に全力を尽くしてきました。後輩のためにと研修会を開いたり環境を改善しようとしたり。

それでも必ず上の人たちが古い考えで立ちふさがります。こんなことはやったことがないだとか、お前ひとりだけやるなとか。

頑張っても報われない環境にいる意味がありますか?



退職の話をしたときに、上司からは私の功績を評価していたのにという話もありましたが、それが目に見えてわからなければ意味がないと思うんです。

低賃金でこき使われて心労で動けなくなる。

こんな環境では自分が壊れてしまうと感じたのです。



まずは環境を変えたい。

その一心で先のことは考えず、とりあえず辞めるという選択をしました。環境を変えないと何も始まらないし好転しないと思ったのです。



幸い旦那さんもよく理解してくれて、退職を応援してくれたのでできた決断でもあります。お金はどうにかなるからと背中を押してくれました。

それくらい疲れていたし、ストレスが家庭にまで持ち込まれていたのでしょう。迷惑をかけてしまいました。



昔の私なら、次の仕事が決まっていない状態では退職の意志を伝えられなかったと思います。

なにか漠然と、働いていることが必須であるような気がしていたのです。看護師の資格をとったのだから看護師として働くのは当たり前だと。

でもそれは結果的に自分の首を絞める結果となったのです。



働く=正しい という思考はもう捨てました。

自分らしい選択をして、自分らしく生きていくことを決めたのです。


それはある意味自由になること。

自由は聞こえがいいですが、何があっても自己責任です。

誰も守ってくれません。

それでもいいのです。私はもう自分のために時間を使い自分のために生きるのです。

それが自分にとって今一番大切な家族を守ることにもつながるわけです。


これから自分らしさを模索して自分らしく活動できるように、今はまだ勉強段階ですが、少しずつアクションを起こしていこうと思っています。

好きを仕事にするってこういうことなのかなって、なんだか想像できるようになってはきました。



はたらくって大切だけど、はたらくために生きてるわけじゃない。

自分らしく生きるためのはたらきかたって自分で探して変えられるんだと証明してみせます。



このサポートはスキルアップに役立てます。三兄弟を育てながら夢に向かって突っ走っています。心に笑顔を咲かせる活動ができるよう、ぜひサポートをお願いします!