26歳になった日

26歳になりました。

その年齢になったと人が認識する瞬間とは、人によってきっと定義が違う気がするけど、大体「0時派」と「生まれたと記録されてる時間派」に分かれるか、どっちでもないか、どっちも祝っとくか、のような気がする。

私は大体毎年どっちも祝っているけど、どっちも祝っとく派というよりは行き当たりばったりな感じである。

夜ふかしができる年齢になってからは毎年確か0時にどこか誇らしげな気持ちになっていたような気がするが、今年は1月7日の、何時ごろか忘れてしまったが、おそらく22時あたりに寒さに負けて少し温まるつもりで布団を被ったら、気づいたら1月8日の深夜2時過ぎだった。

意外なほどにがっかりする感じはなく、これが新年を迎えるタイミングだったらなんとなくもうちょっと残念な気がして不思議だ。

たぶん、新年の方が私にとって「人と共有する」意味合いが大きいからかもしれない。そして、自分の誕生日を、新年の訪れぐらいの規模で人と共有するほど大層なものではないなと、どこか思い始めたからかもしれない。

私が生まれたとされているのは午前10時15分で、そんなに早すぎも遅すぎもせず、しかもやることもあんまりないような時間帯であるおかげで、毎年なんとなく「お、そろそろだな」「生まれたな」と思っている。

と言いつつ、今年は「確か9時45分ぐらいに生まれたよな」と思って、そのぐらいの時間に家族のLINEグループにその旨を書き込んだところ、「もうちょい後やな」という母の言葉とともに母子手帳の1ページの写真が送られてきて、それに気づいたのは昼12時も過ぎた頃だったので、あれそうだったっけ、となった。

0分でも30分でもなく、15分か45分だったな、程度にいい加減に覚えていた。

ということで私の「26歳になった瞬間」有力候補は振り返ってみればどっちも結構曖昧になってしまった。

思ったよりふわっと26歳になった。



新年から唯一平日であった5日の金曜日を有給にして三連休とくっつけたので、今年の1月8日は年末から続く12連休の最終日でもあった。

今日は朝から、来月更新になる今の住処から引っ越すための、新しい場所を探しに出掛けていた。

2時すぎに起きてしまって、10時ごろには不動産屋さんと待ち合わせであったため、これは一度寝たら最悪寝坊するなと思い、ふしぎな時間に誕生日を祝ってもらいつつ、コンビニでたらこのパスタを買って、夜食兼朝ご飯にした。

午前中に1件の内見を済ませ、午後に再集合するまで微妙な間しかなかったため、昼はサイゼリヤに入った。

私はピザを選んで、これから一緒に暮らすひとには、エビのグラタンを食べてもらった。

幼い頃、誕生日メニューのリクエストを聞かれたら必ずエビのグラタンを頼んでいた。最近甲殻類にアレルギーがあることが分かったため、私はたぶんあんなに好きだったエビを、これから先もうほとんど食べられない。

午後の内見を終え、タイムアタックのような勢いで書類を書いて、なんとか契約がまとまった(と言っても、結局これから審査がある)頃にはすっかり暗くなっていた。

家の近くまで戻って、気取らないおしゃれさの雰囲気で味はばつぐんのイタリアンに入り、ふたりでいくつかの料理とサングリアと白ワインを頼んだ。

足を運ぶたびに美味しさに感動しつつ、今日も新鮮に美味しかった。適当に頼んだ割にぴったりの量だったので、最後の一口を飲み込んだ後も何となく余韻、というか後味を味わっていた。

少しだけ残っていたサングリアを眺めつつ、「後味まで美味しいから無くなってからサングリアを飲もうかな」と言いかけ、ふと思い至って「……後味とサングリアのマリアージュを楽しむわ!」と宣言した。

「後味とサングリアのマリアージュ」を楽しんだ後におかしくなって、笑いながらなぜか「ああ、26歳になったなぁ」と思った。

小さな頃に思い描いた26歳ではないというか、小さな頃に26歳の自分を思い描いた記憶が全くないが、たぶんこれでいいような気がする。


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