大嫌いな日本のために闘った夏の日
2024年7月初旬。
35℃を下回ることが一度もなく、連日の酷暑の中、急遽購入した自転車のカゴには「#東京を動かそう」と印刷された紫色の大量のビラと、ペットボトル。
紫外線が肌を焼き、滝のように汗が流れるなか、初めて訪れる世田谷区の住宅地を一人歩き回る。
街角に貼られた「R」と書かれたポスターを目にする度
選挙ポスター掲示板の7番に貼られたポスターを目にする度
地図を確認するため開いたスマホに大量のXからの通知を目にする度
不思議と気力が湧きだして重かった足が軽くなる。
100円ショップで購入した大きめのメッシュバッグと書類ケースは急造の確認団体ビラポスティング用の装備。有権者の手に渡る貴重な1枚1枚を、大切に運ぶために用意した。気遣いで印象を1mmでも上げようと、藁にも縋る思いだった。
半分に折ったビラを手に取り、表札の名前を読み上げ「お願いします」と投函する。無言で投函するより何か伝わるだろうかと祈りの言葉のつもりだ。
石丸伸二を知ったのは、2024年に入ってからだったかと思う。それまでもニュースで目にすることはあったが、なぜか市長としての彼の議会答弁やメディアに対する厳しい指摘から目が離せなくなった。
彼の、政治を正しく行いたいという気迫と、メディアこそ市民のために重要なんだという怒りにも似た批判に、感銘を受ける日々だった。
そんな石丸伸二が市長を退任すると聞いた時、いくらかは寂しいと思ったし、次の東京都知事選に出ると知ってもそこまで興味関心が深まることはなかった。
2024年6月12日。
安芸高田市から東京に移動した石丸伸二が自身のYouTubeでメッセージを発信した。#東京を動かそう というハッシュタグと合わせて「他の誰かのためではなく、皆さん自身のために、今動き出しましょう」という声を聴いた。
都知事選に出馬する人物の所信表明としては、この時は違和感があった。なぜ、私たちが動かないといけないのかと。政治は政治家たちが勝手にするものだ。
2024年6月19日。
立候補者4名の共同記者会見が放送された。リアルタイムで見た。石丸伸二はトップバッターで口火を切った。
あの小池百合子、蓮舫という名高い政治家たちと横並びで「政治屋を一掃」すると言うのだ。「恥を知れ、恥を。それが国民の思いだ」とまで言い切った。
私の中で何かが起こったのはこの時だったかもしれない。
翌日の告示日以降、精力的に活動する石丸伸二の街頭演説を毎日のようにライブ配信で聞き入った。安芸高田市議会の答弁とは違い、楽しそうに笑顔を見せ、繰り返し「今回の都知事選、ぜひ楽しんでください。皆さんの奮起に期待します」と聴衆を励ます言葉を聞いた。
2024年6月29日。自由が丘駅。
石丸伸二の街宣を聴きに直接足を運んだ。驚くほど整然と落ち着いた、しかし熱のある聴衆。礼儀正しく案内するボランティアの皆さんから受け取ったビラを片手に、KDDI創設者の千本氏と、石丸伸二の声を聴いた。
「かっこいい大人たちの姿を、子供たちに見せてあげましょう」
聴衆には子供たちの姿もあった。この時、初めて違和感の正体が分かった気がした。
2024年7月2日。市ヶ谷 石丸伸二選挙事務所。
前日にボランティア申し込みをした私は、市ヶ谷の選挙事務所へポスティング用のビラを受け取りに行くことにした。700枚を受け取り、入口付近で同じくビラを受け取った男性と話をした。
よく見ると彼は、大きな複数のカバンに4000枚ほどのビラを受領したところだといい、「お互い頑張りましょう!」と声をかけて去っていった。
その日から5日間、東京の家々にビラを投函し続けた。マンションにはビラ投函禁止の張り紙がされていたり、許可を得るための管理人の呼び出し方が分からなかったり、生まれて初めてのポスティングは慣れるまでスピードが出なかった。
徒歩ではあまり配れないと感じ、カゴ付きの自転車を近所で購入した。
徹夜で動画投稿も行い、驚くほど多くの再生回数とコメントを頂いた。何より明るいコメントが多く動画編集は2度徹夜して臨んだ。睡眠ゼロで行うポスティング作業は、アドレナリンが出ているからか気持ちの良い疲労を感じた。
選挙事務所に再度赴き、追加で1200枚のビラを受け取った。壁には多くのメッセージが付箋で貼られており、応援のメッセージを私も書いた。誰か見つけてくれるかもしれないなと思い、本名ではなくkanachiと一番下に書いた。
選挙情報収集のため作成したXアカウントでは、大量のコミュニケーションをさせて頂いた。嬉しいことに、スマートフォンを開くたび、通知が100件単位で届いていて、驚くほど沢山の応援の言葉を頂いた。
合計1900枚のビラを配り終わったとき、石丸伸二は遠く離れた丸の内で最後の演説を行っていた。見たこともない数の聴衆がそこには集っていたのだと、Xの投稿で知った。
人生でこんなに心から本気を出して活動したのは初めてだった。
酷暑の中、世田谷の町を歩きながら考えた。
あの違和感の正体は、日本に対する嫌悪感だったのではないか。
腐敗した政治、
詐欺まがいの民主主義、
支離滅裂な税金、
合理性のない法制度、
不必要に強いられる労働、
陰湿で臆病な国民性、
そのすべてが嫌いで、軽蔑していたんだと。
石丸伸二は、そんな負の思いを感じ取っているにも関わらず、東京都民と私たちを巻き込んで、それなら一緒に動かしてしまおうと言っているのではないか。
石丸伸二の声を聴きに来た、自由が丘駅の子供たち。私は彼らにどう映っているのだろうか、恥ずかしい大人だと思われたまま、人生を終えていいのだろうか。
大嫌いなこの国。でも、本当は、日本に生まれ、生きていることだけでも誇りに思いたい、日本の子供たちに恥じぬ大人でありたい。そんな大人がいる国に、自分がこの手で変えたい。
誰のためでもない、自分のために、私が東京を動かしたい。
5日間だけだが、可能な限りの才能と時間と気力と体力を使い果たした。
何の悔いもなく、やりきったこの5日間は胸を張って誇りに思う。あの子供たちにも胸を張って語ることが出来る。
連日の炎天下の中、ここまでやりきることが出来た力の源は、何度何度もXのポストに反応頂き、何度も何度も熱中症に気を付けて、と声をかけ続けてくれた、顔も知らない数千人の日本人だった。
私たちは変われるし、変えられることを、多くの人たちに教えてもらった。
選挙の結果は残念だったが、投開票日2024年7月7日は、長い長い私たちの歴史が始まった日であることをここに記しておく。
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