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華生ばかり #0076

 久々にすき家で朝定食食べてから仕事場へ。おなかいっぱい! 朝定食というより、そもそもお米を食べたのが久々。卵かけご飯最高。普段は生卵の白身って苦手なんだけど、卵かけご飯の時だけは黄身だけかけても雰囲気出ないので全卵かけます。元気になりますね。今日のBGMも、スタートは順調に聖子ちゃん。未だにクリスマスソング聴いてます。だって聖子ちゃんのクリスマスソングって最高なんですもの。

■自己評価

 どう見えてるか分かんないんだけど、こう見えてすごい自己評価が低いんだよ。声優業界にいられることが我ながら不思議だなと思うぐらい自分に魅力を感じないの。前回ちょっと書いたんだけど、自分の声もトークも好きではないし(かと言って今更おとなしめキャラとか癒やし系に変えることは不可能。子どもの頃から今の性格だったと思うしもう無理)過去のラジオとか聴き返してると「順子さんはいいなぁ」とか「おまちゅんは可愛いなぁ」とか、もろに隣の芝生が青すぎて眩しいのね。たまに「そんな特徴的な声なんだから充分だよ!」みたいに言われることもあるんだけど、ほんとーーに何がどう特徴的なのか自分じゃ分かんないもんだよね。いやそんな気を遣って言わせちゃってるみたいでごめんねって思うのよ。でも、こないだ友人に「自己評価が低いのは仕方ないけど、他人の評価まで『そんなことはない』って否定するのはただの頑固ちゃんだよ」とか言われて、それは確かにそうだな……とも思った。難しいんだけどね、素直に受け入れるのって。トーク面白いよとかいい声じゃんとか言われた時は「有難う」と反射的に言うんだけど、ふとした時にやっぱり「いや、でもそんなことはない」と否定してる自分がいるもんね。

 自分の身の丈を正確に把握するのって難しいじゃん。それが出来れば身の丈に合った生き方が出来るだろうけど、なかなか自分を客観視して正しい姿を見極めるのって難しいよ。だから結局、自己評価をものさしに考えて「私はこれぐらいがちょうどいい」って考えてしまいがちだよね。多分ね、子どもの頃ってもうちょい他人からのいい評価を素直に受け取って喜んでたんだと思うんだよ。たとえば昔から自分の声(ラジオ的な)をテープに吹き込むとか小説書いて周りの人に回し読みしてもらうってことを常にやってて、その過程で「今回のすっごい面白かった」とか「続きが気になる! 早く書いてよ」みたいに言われてたんだけど、それは素直に嬉しかったし「続きは?」と言ってくれる人がいるから小説をどんどんルーズリーフに書いてさ、ルーズリーフの消費量が凄まじかったしさ。絶対に今より素直だった! 「私が他に趣味もなく、喋るか小説書くことしか能がないような気の毒な子だから褒めてくれてるんだろうな」みたいな捻くれたことを思った経験がなかったもん。今だったら思ってるね。今の性格で中学生ぐらいだったとしたら、その捻くれ思考を全開にしてるんじゃないかな。口には出さないまでも思うだろうな。んで自分で自分が嫌になって閉じこもるみたいな不毛なことをしてたと思うな。

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