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あるべき姿


今の日本にはこうあるべきという、あるべき姿に囚われている人たちが多いのではないだろうか。

私もその1人。出産前までは割と自由人で、こうあるべきという固定概念から逸脱することにより自分という人間がみえてくるのではないか!という尖った思想で海外にもたくさん行ったし、私とはどんな人間?を考え、自分のやりたいことを模索していた。

なのに出産して、守るべきものができると、子どもの安全のために〜とか、世間的にこうあるべき〜とかに囚われる。前はもっと自由な発想だったのに、「母はこうあるべき」が勝手に頭に入ってくる。

これはどこからくるのだろうか?赤子をもって気づいたことは、赤子とは本当にまっさらな生き物。家庭とか環境によってその子はどんどんと色づけされていく。その色に「あるべき」を塗りつけてしまうと、将来その子にとってそれは呪いとなってしまうのではないか、と。

育児って時にはその子の一生を左右するような考えや固定概念を植え付けてしまう。責任重大で、怖いとさえ思えてしまう。

ピンクは女の子、青は男の子というのも日本の教育機関の一種の固定概念。わたしは小学生高学年の頃、それに反発したかったのか世間一般的に女の子らしいと言われるものを毛嫌いし、髪を短く切り、スカートは履かず、何ならお父さんのスポーツブランドのお下がりを着ていた。あんなに女らしいとか、女は結婚してなんぼという思想に反発していたのに、今ではどちらかというと家庭的な妻。

それはきっと小さい頃からお父さんに尽くすお母さんを見てきたから。私は自分の家族が大好きだ。でも家庭環境により、植え付けられる習性があるのかも知れない。

でも、今男の子を産んで、わたしが辛いと思いながら完璧に家事に育児にこなしていたら、子どもは母はこうあるべきものと潜在的に思ってしまうのではないか?

子どもに女性はこうあるべきを植え付けてしまわないように、私は母らしくではなく、自分らしくいたい。そのために自分に正直に生きる。

いつか子どもになんでママはこのお仕事を、この生活を選んだの?と言われたら、好きだからだよって言える環境を整えよう。着々と。





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