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【1歳6ヶ月健診】ただ元気に生きてくれたらと願っていても「普通」を求められる育児

1歳6ヶ月健診の日。母である私と保健師さんが問診票をもとに話している間、私の横に座っていた子どもの目の前に積み木とイラストが描かれた1枚の紙が置かれていた。これが噂のテストか…と。結果、積み木はクリアしたのだが、もう一つの指差し(例えば保健師さんがブーブーどれかなあ?と言った場合、車のイラストを指差せるかどうかを試される)は撃沈。子どもは指を差さずに「ブーブー!!」と元気に言い、もう飽きたのか「あっち行く!」と椅子から降りようとするという状況だった。

家で指差しの練習はしていなかったのだから、やれなくてもまあ仕方ないと思った。それに車を見れば「ブーブー」、犬を見れば「ワンワン」と普段言えるのだから言葉の発達の心配は何もしていなかった。

ところがその後、保健師さんから3ヶ月後にまたテストするか発達を促す教室に通わないかという提案を受けた。言葉のほかに子どもの落ち着きのなさも気になるとのことだった。私の感覚では子どもはよく喋れると思っていたし、ちょっとやんちゃでものびのびと元気に育っているならそれでよし!と思っていたから指摘されたことがなんだかショックで。

でも保健師さんから指摘された後に周りを見ると、お母さんが「座ってね」と言うときちんと座る子がいて、お母さんと手を繋いで歩ける子がいて、静かに待ち時間を過ごせる子がいて…。もっと教えていかないといけなかったのだろうか、TVを見せすぎなのだろうか、生活習慣を見直さないといけないのだろうかと自分を責めた。

そんな状況の私は保健師さんの言葉ひとつひとつが気になって。「言葉の発達が遅いということですか?」と聞けば「そうではない」と安心する答えが返ってくるのに、次は「育てにくさを感じたことはありませんか?」と不安を煽る言葉をかけられる。

一人しか育てたことがない私は、目の前にいる自分の子どもしか知らない。1歳6ヶ月の「普通」がどんなものなのかわからない。育てにくいだなんて感じたこともない。産まれたばかりのころからしたらとんでもないスピードで成長していて、その姿に感動する日々を過ごしてるわけで…。育て方を否定された気がしてモヤっとしてしまった。

健診に行くたびに思う。無事に産まれてくれたらと願い、産まれてからは今日も元気に生きてくれたらそれでいいと願っているのに子育ては「普通」を求められるから難しい。大きくなるにつれて、みんなと一緒を求められる世の中に育てにくさを感じる。今回担当してくださった保健師さんからはほかの子よりもやんちゃで指差しできなかった子に見えたのかもしれないけれど、私は自分の子どもが元気ならそれでいい。それで十分。

子育てしているとママも子どもも普通・一般的・標準を求められる。だからきっとこれからも焦ってしまったりモヤっとすることがあるのだろうけれど、誰かに言われた言葉よりも目の前にいる子どもの個性を大切にできる母親でありたい。


色々とモヤっとした健診だったけれど、最後の歯科健診で「お母さん上手に磨けてますね、よく頑張ってますね!」と言われて涙が出そうになるくらい嬉しかった…!できないことばかり指摘されるけれど、歯医者さんのように頑張りを認めてくれる人がいるだけで心が救われるんだなとも思えた健診でした!





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