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79年前。長崎に原爆起きた日。
11時2分。

原爆を作る人々よ!
しばし手を休め 眼をとじ給え

式典で出てきた、長崎出身の詩人の言葉。
市長のスピーチや、原爆経験者のスピーチは魂に響くものだった。

ニュースに出てこないだけで、いろんな場所で差別・抑圧・暴力などに苦しめられている人は多くいる。その声をすべて拾いきれていない、注目されないことに苦しくなる。負の行動に対して個人の力ではあまりにも非力だ。

爆撃で多くの人が怪我をして亡くなること、武力の対立によって起きるレイプや子ども兵。そのニュースを見て心を痛めて、デモや不買行動を行ったりすることもある。多くの人に知ってもらいたくて、SNSで広めたりすることもある。
でも現状は変わることはない。国のトップはなんのためにその座について、なぜ人を殺すことを望むのだろうか。
わからない。想像ができない。まぁ、排除したい人の気持ちを考えても一生理解なんてできないけれど。

いろんな感情や意見があるのは当たり前だし、対立も生じる。それはどうしようもないことだけど、対話すること理解することで、力による対立を防ぐことはもうできないのだろうか。そもそも無理なのだろうか。ずっと続く対立を、生きていくはずだった死を見ていると絶望的に思う。ただ、このやるせなさは引き継いで行ってはいけないものだと強く思うし、止めないといけない。…一体誰がこの対立を止めることができるのだろうか。これ以上の死を増やさないためにどうしたらいいのだろうか…。

今年で79年目。21年後には100年を迎えるし、戦争を経験した人は日に日にいなくなってしまうから、生の記憶を伝えることはできなくなる。戦争を知らない人で埋まってしまう前に、記憶を継承し続けなくてはいけない。戦争がいかに恐ろしいか、地獄を生み出すものかを伝え続けて、二度と戦争をさせないために。個々の自由な言動を規制されないようにするために。

過ちは繰り返してはいけない。


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