見出し画像

日薬と目薬


「いやー、自分でもこんなに食えるようになるとは思わなかった」

これは、胃がんの術後で食事がほとんど摂れない状態で退院された利用者Aさん(80代男性)が、先日話されたひとことです。
2月に自宅退院された時は、チーズひとかけ、イチゴを食べるのがやっとでした。
今は、ラーメンを1人前食べられる日もあるくらい回復しています。


申し遅れましたが、郡山市久留米にある訪問看護ステーションlifeで看護師をしている田代さとみと申します。
趣味は読書で、好きな食べ物はマグロです!

話を戻します。
もともと胃カメラが大の苦手だったAさん。
症状が出てもなお受診を渋り、苦しんだ後にようやく病気が判明しました。
胃の病気は手術で取り切れたものの、その後の合併症が重なり、入院期間は延長。
ようやく口からの食事が開始されたものの、食べても吐いてしまいます。
食事を摂るために試行錯誤しましたが、食べては吐くの繰り返し…
24時間点滴が続き、そのうちに夜も眠れなくなり、向精神薬の内服が始まり…
入院は長くなるばかりで、精神状態も改善しません。
年齢的に、認知症が悪化したと判断されていたのかもしれません。
そこで、一旦外泊しましょうか、と病院から提案をされ、点滴をしたままの退院となりました。
週末を自宅で過ごし、週明けの受診でまた電解質補正のために少し入院しましたが、その後、本格的に在宅療養することを選択されました。
奥様と2人暮らしで、お庭が素敵なお家に住んでいらっしゃいます。

退院当初、Aさんはひどく疲れた様子でした。
痩せてしまって、体力がありません。
訪問して「気分はいかがですか?」とお聞きしても
「そんなこと聞かなくっていい!」と、触れることもままならない状態でした。

Aさんは衰弱し、イライラされていました。
イライラも大切なサイン。
何か意味があるし、サインを出す力がAさんにはある。
そう思い、受け止めました。
声のトーンに気をつけて、ケアは最小限にしました。
後日、奥様は退院当初の日々を振り返り、
「病気になるってことは、心に鬼が宿るってことなんだよ、って聞いたことがあるの。だから夫もそうなんだなって思ってたの。」と、話して下さいました。
衰弱し、イライラする夫のそばにいるのが辛い日もあったはずです。
それでもじっと耐えて、ずっと側にいた。
奥様の寄り添う力に頭が下がる思いがしました。

休日に訪問したある日、天気も良く、Aさんも穏やかにされていたので、ケアが終わった後にずっと気になっていたことについて聞いてみました。
リビングの棚に、日本国内の特産品に限らず、ヨーロッパやアフリカの空気を感じる置物がたくさん置いてあるのです。
旅する暮らしに憧れているわたし。いつか聞いてみようと時期を狙っていました。
「Aさん、この棚にあるもの、どれも素敵ですね。どこのお土産ですか?」
この素朴な問いをきっかけに、
「ん?それはねぇイタリアのベネチアに行った時のねぇ…」と、過去に訪れた旅先の話をして下さいました。
話しているうちに、登山が趣味だったことなども教えてくださり、楽しくおしゃべりしました。
「だけどそれ(数々の置物や登山の道具など)も全部死ぬ前に片付けしたいんだ。」

ほほう…

旅の話や登山の話をされる時のAさんの表情…キラキラしているんですよね。
一緒に聞いている奥様もニコニコしています。
この日わたしは、Aさんが好きなことと死ぬまでにしたいことを聞くことができました。こういうことがわたしは嬉しいんです。
そして、Aさんと奥様の表情から、回復の兆しを感じ安心しました。
それと同時に、わたしは看護師として、不安を抱えていたことにも気が付きました。
Aさんがこのまま回復しなかったらどうしよう…答えのない漠然とした不安です。
看護師として力になれないかもしれない、という自己中心的な不安を抱えていたのです。
ちょっと違うな、と思い直しました。
Aさんの今ある力に注目だ!諦めないぞ!と、崇拝するナイチンゲールに誓いました。

けれど、食事は思うように摂れない日々が続きました。
点滴も外せません。
食べたいな、食べられそうだな、と思っても食べられなかったり、
ほんの少しでお腹がいっぱいになってしまったり。
もしかしたらこのまま食べられない状況が続くのかもしれない。
それでも、奥様は必ず食事を用意します。
「作っても捨てる方が多いの」と言いながらも、「今日はこれにしてみる?」と、試行錯誤されていました。
そして、奥様は決して「食べて」と強要しません。
わたしたちに対しても、「今日は納豆ご飯をふた口食べたね」といった感じで報告して下さっていました。
(それを聞いているご本人は「んだなぁ」と、ちょっぴり他人事風にコメントする。)
奥様はAさんが食べられなかった量ではなく、食べることができた量をみている。
これって看護の視点だなぁと思います。


4月くらいから、点滴を外して自宅のお風呂に入るようになりました。
庭の作業や生前整理がしたい!と、リハビリも開始しました。
そのような日々のなかで徐々に食べられる量が増えてきました。
つい先日は、
「食いたいのになんでこんなに食えねぇのかと思ったら、俺、手術して胃だいぶ取ったんだった。忘れてたの。」と満面の笑みで報告して下さいました。
この発言には奥様と大笑いしました。


そしてついに。先日。
ラーメン一人前完食です。

「今までは2人で1食分食べてたのに、今日は完食したの!」と奥様からの報告を受けました。みんなで大喜び。帰りに道じんわりと感動を反芻しながら、これってまさに「日薬」と「目薬」だなぁと思ったんです。
最近読んだ本の中にあったものです。

私はこのような主治医の処方を、<日薬>と<目薬>で表現しています。何事もすぐには解決しません。数週間、数ヶ月、数年、治療が続くことがあります。しかし、何とかしているうちに何とかなるものです。これが<日薬>です。
もうひとつの<目薬>は、点眼薬のことではありません。「あなたの苦しい姿は、主治医であるこの私がこの目でしかと見ています」ということです。前にも言いましたが、ヒトは誰も見ていないところでは苦しみに耐えられません。ちゃんと見守っている眼があると、耐えられるものです。
「ネガティブ・ケイパビリティ答えの出ない事態に耐える力」箒木蓬生


数年間かけて表在化した病気。それを治療して、現在に至るまでのAさんの回復過程。
途中で「もう一生食べられないかもしれない」と思った日もあったでしょう。
それでも、ほんの少しでもいいから諦めずに食べ続けたこの数ヶ月間。
そこには衰弱して思うように動かない体、食べたいのに食べられないもどかしさ、それらに苦しむAさんの姿を見守る奥様の眼がありました。
この「日薬」と「目薬」によって、Aさんは確実に回復に向かっている。
そう思って、やけに納得したのです。
ついでに言うと、わたしたち看護師はAさんだけではなく奥様のこともずっと見てきました。
極限まで落ちた体力を温存しつつ、それでも快適な暮らしができるようにケアしました。
少しつでも必ず良くなる、と励ましながら。
思うようにならない日々でも、常に生きているお花を飾る奥様の感性に感動しながら。
緑で生い茂る庭を一緒に眺めて「本当にいい季節になりましたね」と、共に過ごせることに感謝しながら。
私たちのこの看護の眼も、お二人にとっての目薬になっている。
そう信じたいです。


特別なケアはしていません。とてもシンプル。
でも、その中に真価がある。
暮らしを支える看護には、そういう可能性があると思います。
ちなみにわたし個人のことを言えば、特別な肩書きがある訳でもないし、優れた技術を持っている訳でもありません。
堂々と言うことでもないですね。
それでも、苦しい時も共に時間を過ごし、一緒に耐えることはできます。
そばにいて、見守ることはできます。
特別な技術がなくても、目の前にいる方の力になることはできる。
大切なことは、今ある力に注目し、諦めないこと。
病気だけではなく、人や暮らしをみること。
Aさんの回復過程を見ていて、そう実感します。
このわたしに備わっている看護の力を信じて、また明日も頑張ろう。

おわりに
わたしは、どんな暮らしの中にも光が灯っていると思います。
病や障がいによってその光が弱まったり、見えなくなることがあったとしても。
その暮らしを支えるために、私たちlifeは存在しています。
lifeは人とまちに寄り添う訪問看護ステーションを目指し奮闘中です。
そんな訪問看護ステーションlifeで一緒に働いてくれる看護師さんを大募集していまーす!!
ここまで読んでくださった優しいあなた。
ありがとうございます!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?