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「家族の問題」犠牲の箱の話。




先日聞いた、
「家族の問題」に関わる話で、

『犠牲の箱の話』というのがあります。



この人生で自分が家族になる人達は、

実は約束して集まったメンバーなんだ、
という説があります。

家族なのに、全然違うタイプの人がいる。

家族なのに、仲良くしたいのに、
どうしても分かり合えない人がいる。。

そうやって違うタイプの人間が、

『家族』という、
ある種なかなか逃げられない関係として、

仲間になるという事には、
意味があるのです。

もしも、お友達に嫌な人が居たのなら、
その関係から逃げるのは、
家族よりもずっと簡単です。

ても、「家族」として生まれる事で
簡単にはその問題から逃げられない。
そういった「学ばざるを得ない状況」を
私たちは経験することがあるのです。


その学びというのは、人により、
家族によりテーマが違って、
様々なものがありますが、

その一つに「犠牲の箱に入る人」
という話があります。


共に暮らす最も近しい仲間が家族です。

その中で、自分のことを
自ら犠牲にする人がいるのです。

例えば、、

あるおばあちゃんはいつも、
すき焼きの時に1人だけお肉を食べません。

実はおばあちゃんは子供の頃、
大人数の兄弟がいる中の長女でした。

裕福ではない暮らしの中で、
お肉が食卓に出るのは珍しいこと。

そして、食べ盛りの弟達に、
お肉を食べさせてあげたいから、
自分は野菜だけを食べるのです。

『自分が我慢すれば家庭の助けになる。』

そうやって、今でも、
自分は野菜だけ食べてるのよ、
とおばあちゃんは言うのです。


一見、ひとつの美談のように
聞こえますが、ここでのポイントは、、

おばあちゃんがこの、
「自分が家族のために野菜を食べている」
という話をする時、

いつも少し嬉しそうに話す、
ということなのです。

自分が我慢をしている、犠牲になっている、
という辛い話をしている割には、

その瞬間とても輝いているのです。


私にはこれ、すっごく分かるのですが、
『自分に価値を見出している瞬間』なんです。

こういう人は基本的に、
『そのままでは自分には価値がない』
という信念を持っている人です。

自分には価値はないけれど、
そんな自分も、家族の犠牲になることで
自分には価値が生まれている!
と感じているので、苦しそうだけれど、
実は生きがいのように、、
喜びを感じているのです。


嘘みたいな話ですけれど、
このような理由から、

『自ら犠牲の箱に入ってしまう人』
というのがいるのです。


実は自分も思い当たる節があります。。

私の家は極貧でもなかったけれど、
とても裕福という訳でもない普通?の家で、

自分はとても恵まれて育ったと
思っているのですが、、

お金の事には結構厳しい両親で、
うちにはお金が少ないんだから、
そんな贅沢言えないよ!!みたいな事は
ずっと言われていたと思います。

そして、リーマンショックの辺りには、
ひときわ家計がキツかったみたいで、

『節約しなきゃうちは大変なんだ!』
という認識が強く心に入っていました。

そんな感じだったので私は、
なるべく自分に関わることを
安く済ませて家計の助けになっている
娘にならなきゃ!みたいな想いが
いつも無意識にあって、

高校も大学も絶対に公立で受かる!とか、
高校の修学旅行も、東京と、長野と、
オーストリアから選べたんですが、
1番安い長野のスノボコースを選んだりなど、
節約の助けとなる自分でいることに
日々いそしんでいました。

しかし、、

そんな自分とは全く違う妹がいまして、、

妹は全然家計の事は気にする素振りもなく、
自分の欲望のままに生きていました(笑)

高いのに歯科矯正をさせてくれだとか、
大学は私立だし、、
英語も喋れないのにニュージーランドに
留学に行きたい!とか突然言い出したり、、

お金がかかることばっかり
言うんです…w

当時はそんな妹にムカついていて、
私はこんなに家のために頑張ってるのに、
あいつは何も考えずに好き放題だ!
と思っていたのですが、

この話を人にする時、、

確かに私も凄く嬉しそうに
話していたと思うんです。。


私はほんとに頑張ったんだから!
なのに妹ったら全然なんだよね〜!!
まったく、、って。。^^;


なので、
この犠牲の箱の話を聞いた時に、

私も「犠牲になって頑張っている私」
という部分に自分の存在価値を
見出していたんだなぁ…
と思い、納得!!という思いと、
胸がキュンと切なくなる思いを感じました。

そのままの自分には価値がないって
思い込んでいたから、、


犠牲になるくらいしか、
自分には価値が無いんだと
思ってたんだなぁ〜と思ったら、
少し悲しくなったのです…(´;ω;`)


今は、自分を大切にすることを学んで
前よりもだんだんと自分を可愛がることが
出来てきてると思うけどね…^^★





…そんな風に自ら犠牲の箱に入る人は、
「自分にはあまり価値がない」という
考え方のくせというか習慣になっているので
中々気づかなかったりするんですね。


私みたいに、色々心の世界のことを
学んでいって気づいていく流れの人もいるけど、


そうでない場合に、
家族の人が気づかせてあげる事が必要
って事もあります。


犠牲の箱に自ら入っている家族がいる時、
実は、周りの家族からは、

「犠牲にならずにもっと楽しんでほしい」

「自由に生きてほしい」

と言う風に思われていたりします。


そういう気づかせたい人がいる場合には、

その人が頑張っている事以外で、
何かを褒めてあげるといいみたいです。


例えば、、

お母さんいつも飾ってるお花の活け方
きれいだね!!
もしかしたら生花の才能あるんじゃない??
とか、、

いつも口ずさんでる歌結構上手だよね!!
歌のサークルとか似合いそうだね!!
とか、、


すると、だんだん自分の好きな事とか、
楽しいことの方に目がいくようになって、

自分の価値に気づきやすい状態に
なっていくんだそうです。


ちなみに、先程のお肉を食べない
おばあちゃんも、

趣味の俳句を始めてから、
とても生き生きするようになり、

俳句の賞までとってしまうほど、
自分の才能を発揮するように
変わっていったんだとか。。


そして、今では家族でお鍋を食べていても
自分もお肉を食べるんだそうです…(笑)




以上、「犠牲の箱」のお話でした!



いま犠牲の箱に自分は入ってるな…
と思った人は、、


もう、そこから出てもいいんだよ^^
と自分に言ってあげてください♪



あなたの素晴らしい価値は、
その箱の外でもたくさん
見つけることが出来るのです…(*^^*)★




今日もあなたの心が
愛でいっぱいでありますように…




佳奈













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