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読みたい本が無いのではなく、読みたい本が分からないだけ

本が読めなくなった。年かな?
と、思っていたけれど、どうやら違うようだ。最近は読めるようになり、それが今の私が読みたい本であることに気づいた。

図書館からいろいろ借りてきた本や、自宅の積み本をごそごそと二、三冊選んで、布団に寝ころがる。ごろ寝しながら読書。一冊目をつまみ読み、二冊目を読んで、三冊目にいくかいかないかで眠くなる。うとうとしながら、そのまま布団で寝れる。読書からの睡眠。なんて至福だろう!

なんだか読みたい本がないなあ、なんて思っていた。
ページをめくっても読み進められない。集中力が衰えたのか、と、ちょっとションボリする。
なんてことはない。今読みたい本ではなかった、というだけなのだ。

読みたい本が分かるまで、あれこれ本を探す労力が惜しい。
と思う自分がいる。失敗をおそれがち。
これじゃない……を繰り返しながら、今の自分が読みたい本に出会えたときの喜びは大きいものだ。なんだ、自分は本が読めるじゃないか読みたいんじゃないか。

くせものなのが、そのときの年齢や状況によって読みたい本が変わること。
読みたい本が分からない、と、図書館や本屋をうろついている今の自分がいる。

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