シリーズ「霊の中に生きる」 No.4人の霊(4)⑦

満ち足りることのできる地

シリーズ「霊の中に生きる」 No.4

人の霊(4)⑦

人の霊(4) - 牧師の書斎

聖書の最高の教えは、
「霊の中で生きる」ことです。

神の約束の地は無尽蔵な地であり、
結実豊かな地です。

満ち足りることのできる地なのです。

ちょっぴり満足するというのではなく、常に、絶えず、すべてにおいて満ち足りることのできる地であり、それはすべてキリストを表すたとえなのです。

使徒パウロは神の尺度に従った表現を好んで使った人です。

「あふれるばかりの」

「あふれるほどに」

「溢れ出て」

「勝ち得て余りある」

「絶大な」

「はるかにまさる」

「測り知ることのできない」

「ますます」

「満ち溢れる」といった表現です。

これらの表現は
キリストにのみ当てはまるのです。

【新改訳2017】

申命記8章7~9節


あなたの神、【主】があなたを良い地に導き入れようとしておられるからである。

そこは、谷間と山に湧き出る水の流れや、泉と深い淵のある地、 小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろのある地、オリーブ油と蜜のある地である。

そこは、あなたが不自由なくパンを食べ、何一つ足りないものがない地であり、そこの石は鉄で、その山々からは銅を掘り出すことのできる地である。


その腹より生ける水湧き出ずる神のことば

再度申命記8章に戻って、神が与えてくださる良い地について見てみましょう。

「そこの石は鉄で、その山々からは銅を掘り出すことのできる地」とあるように、神の嗣業としての地は目に見えない宝の山だということです。

無尽蔵の富が眠っています。ですから、それを掘り出す者がいなければなりません。

使徒パウロはそうした霊的な無尽蔵の富を掘り出した人です。私たちには天にある霊的な富がキリストにあってすでに与えられているのですが、鉄や青銅のような価値あるものを石や山から掘り出すことが必要なのです。

どんなに掘り出したとしても無尽蔵なのですから、無くなりません。

この世のものは無尽蔵ということはありません。掘り尽くしていつかは無くなります。しかし霊の世界では私たちの知らない真理が聖書の中に埋もれ隠されているのです。

そのことが「パンの奇蹟」での「集める」に相当します。

いのちを与える神のことばは無尽蔵なのです。

掘り起こされた宝玉


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