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通過点。

 約一年間アルバイトをさせていただいた放課後等デイサービスをやめることにした。

 海外ボランティアや大学の実習で障害を抱える子ども達と接することはあったが、もっとちゃんと子ども達と向き合いたいと思って応募したことがきっかけである。

 大学生活5年間で、アルバイトにいい思いをしたことがなかった私ですがこの一年間本当に楽しくて学びの多い充実した時間を過ごさせてもらった。何より子ども達が本当にかわいいのである。

 だからこそ、この決断には大変勇気が必要だったし何度も自分と向き合って決めた私にとっては大きな決断だった。

 この4月いっぱいで退職する予定だが、今でも自分の名前を呼んでくれる子ども達の姿が思い出されて涙が出そうになるくらい本当に素敵な子ども達に出会えて、私自身が「支援」という形で子供に携わらせてもらっているのに、逆に私が励ましてもらったリ多くの勇気や大きな発見をもらっていた。本当に子どもの力ってすごい。

 私がアルバイトを始めたころはトイレが怖くて入ることはもちろん、近づくことさえもできなかった子どもが、今では自己申告でトイレに行けるようになったり、栄養剤しか飲めなかった子がハンバーグを一口食べれるようになったり、自分の気持ちを伝えることが出来なかった子が小さな声でも伝えることが出来るようになったり。子どもたちの大きな成長を目にするたびに、何故か泣きそうになる。今までスタッフの名前を絶対に口にしなかった子が、ぼそっと私の名前を呼んでくれた時にはうれしくてうれしくて、今でもその瞬間を覚えている。本当にみんなかわいいねん。

 そんなに思い入れがあるこのアルバイトをなぜやめることにしたのか?

 子ども達のことはすごく好きだし、バイト先のメンバーも素敵な人たちばかりである。しかし、この仕事をしていて自分の中で大きくなった「支援」というもやもやがぬぐい切れず、この仕事や「障害」という言葉に付属してついてくるような「支援」や「教育」という言葉に何か違和感を感じるようになった。

 私の夢は発達障害を抱える人たちの留学支援であると豪語してきた私だが、実際に子ども達と関わってきて自分がしたいのは何なのか分からなくなってきた。根本的な考えは変わってはいないが、今まで自分の中で信じてきた「子どもが好き」「留学支援」などという言葉が本当にそうなのか自分自身でも分からなくなってきたのである。子どものことは大好きである、と私は思う。けれども、本当にそうなのだろうか。

 放課後等デイサービスで働く中で、笑顔をたくさんもらった。それと同時に毎日が自分との反省だった。失敗もたくさんして、そのたびに子どもとの向き合い方に悩み、自分はこの子たちにとってどうありたいのか、その問いはまだ自分の中で渦巻いている。答えは自分自身の中にある、とも思うし、答えなんかないとも思う。

 だからこそ、子ども達と向き合う前にまず、自分自身のこの気持ちと向き合いたいと思い、一度職場を離れることを決意した。未だにやめると決意してから自分の判断が正しかったのかどうか分からない。

 やめるときに一番引っかかったのが子ども達の存在である。私は一アルバイトの存在であり、たとえこれから子供関係の仕事に就くといても私はこの子たちの親ではないのでずっと成長を見続けることが出来ない。一年でもこんなに成長したのに、入園して保育所や幼稚園に通ったりランドセルを背負う姿や、声が出るようになったり、言葉を話せるようになったり、自分の感情を外に表せるようになったり、身長が伸びて大きくなっていろんな今日あったことを教えてくれたり、そんなことを想像すると自分が(ごときではあるが)みんなの成長を見れないのが悔しくて悲しくて、それが一番の心に引っかかったことである。親にはなれないからそれは当たり前のことである。見届けられないのがすごく悔しい。

 こんなん言うたらどうかと思うけれども、正直外で出会ういろんな子ども達を見ていても思い出すのは事業所の子ども達であり、正直バイト先の子ども達が一番かわいいと思ってしまう。だから、一度この仕事を離れてみて、その中で自分の心の中に「子ども達」というワードが残った時にその職場で今のバイト先の子ども達と同じように愛しいと思えるかも不安である。

 けれど、一度離れてみて見える世界もあると思う。時間は短いようで人生まだまだある、失敗したら何回もやり直ししたらいいし、いろんなことにチャレンジしてみて色んな経験をしたい。その失敗は成功のためのステップであり何度も遠回りをしてもいいと思う。考えずに行動してしまう時期があってもいいと思う。グダグダな時があっても無駄ではないと思う。(私は自分のことを卑下してしまいがちなのですが…)その繰り返しの中で自分が本当に自分自身を笑顔にできる者に出会えたら十分である。私は今それが分からない。分からないからいろんなことにチャレンジする。

 それが、私が決断した理由である。

 先ほど、「支援」「教育」という言葉について少し言及したがそれらを批判しているわけではない。大学・大学院では教育について研究に励んでいるし、それは自分の人生を選択するための手段として必要不可欠であると思う。

 これは最近少し考えていることで、まだ何も考えがまとまっていないのやけど、私がいろんな人と接していて自分が幸せだなと感じる瞬間は、私の周りの大切な人たちが「笑顔」であるときである。

 自己犠牲による他者への貢献は行き過ぎた依存であり本当の自分の幸せではないと思う。けれども人が幸せなら私も幸せだなと思うし何より人の笑っている顔が大好きである。「支援」や「教育」も同じなのかもしれない。(ここからまとまっていなくてグダグダ)

 その子がこれから歩んでゆく中で出来ることを増やしたり、特異なことを強みにしたり、そんなサポートが出来たらいいなと思う、けれども同時にその瞬間瞬間を笑顔にできたらいいなって思ったりもする。一緒のことかな。『パッチアダムス』の観すぎかな。

 大好きな映画『パッチアダムス』に心に深く残っているセリフがある。

「問題ばかり見ていると、答えが目に入らない」

「人に見えないものをみなさい」

すごいなこの人本当に。問題ばかり見ていると物事の本質にたどり着けない気がする。なんかまさに今の日本って感じやな(笑)日本だけじゃなくて、社会全体がそんな雰囲気を醸し出している気がする。

 最後よくわからないまとめ方になったけれども、今回は自分の思考整理と次へ進むために自分い区切りをつけたNOTEでした。

 おやすみなさい。



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