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菖蒲湯とまじない

まいど、ナギです。

昨日はこどもの日。
ちまきも柏餅も忘れてたけど、妻の提案で菖蒲湯をすることに。
しょうぶゆ。
僕の記憶のかぎりでは、子どもの頃に菖蒲湯に浸かったことなんてない。そういえば、お風呂のお湯になにか浮かべる系はあまりやらなかったな。入浴剤を除いて。

調べてみると菖蒲湯っていうのは特に効能うんぬんはないようだ。
漢方の効能で肩こりや腰痛に効果があるともいわれるみたいだけど、まああたたかいお湯に浸かっているのだから多少は緩和されるだろう。僕自身は、漢方って信じているけれど。というわけで、実質効能は特にないみたい。じゃあなんであんな葉っぱをお湯に浮かべるのか。香りを楽しむのだそうだ。香り、か。嗅いでみたが、僕の嗅覚ではあまり香りを感じられなかった。お湯の温度が低かったからかもしれない。菖蒲をすこし絞ってみたけれど、やはり香りは感じられなかった。残念。

そもそもは邪気を払うというまじない的意味があったらしい。
ほかに「尚武」にかけて、男子が武芸に励めるようにという願いも込められたという。多様性の時代にはそぐわなさそうだが、昔の中国の話だから許してほしい。それに女子も「尚武」の恩恵にあやかれるかもしれぬ。
神様とか呪術は人間が思っている以上に、視野が広く適当だと思う。女子だから、男子だからダメっていうのは、案外人間のあと付けの部分が大きいように思う。それから、菖蒲湯の菖蒲は頭に巻くと頭が良くなるんだそう。僕もそれがいい。そのまじないにならあやかりたい。でも、36、いやまだ35歳なんだが、それくらいの歳のおじさんが湯船でひとりで真剣な顔して菖蒲を頭に巻いている姿が鏡に映って、その巻きたてほやほやの姿を自ら直視するのはさすがに勘弁と思ったのでやめておいた。

そんな菖蒲湯も、なんかわからないけど1年間怪我や病気がなく過ごせそうと思うと、いつもより温まるように思える。
お湯の熱が、特別な伝わり方によって身体の芯まで伝導してくる。伝導した熱は肉体に包まれて、しっかりと保温される。身体の表面が冷えても、冷えたビールを食道から内に流し込んでも、たしかに熱を保ち続ける。そんな感覚になる。

その意味でまじないはとても重要なことだと思う。
科学的にはそんな事実は起こってもいないとしても、体感と感覚でその事実を実感する。それはたしかに手ざわりのあるものとして感じられる。イメージによって身体感覚は拡張される。菖蒲湯に浸かったから、柏餅を食べたから1年間無病息災でいられると思えば、無病息災でいられるのだ。身体はイメージによって運用される。だからまじないは、自分の身体の拡張パックみたいなものだ。
その意味でいえば、まじないは「現在の肯定」のひとつなのかもしれない。

いまの君はそれでいい。

それでいて、次の君へ進もう。

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