鈴江栄治『視線論』
白い表紙に小さな文字で記された題名と筆者名。
白い帯には「通過し 来る 光に/由らない 光である」。
帯の裏には建畠哲氏の言葉「……しかしそこに明滅する美しくまた不遜な光は、どこからくるのであろうか。……」。
その後記には、「おびただしい、造形に関する制作ノートのなかに、析出してくる詩編群がある。その多くは、無明に探られている一連のデッサンと、互いをめぐりつつ浮上する。/描線を言葉は、それぞれの律するものの根に降り、類縁と、おそらくはその未来の異質において、各々の存立を養うものであるかに思われる。/これらの動くかすかな明るみに就いて、すでに久しく来た。/造形とともにその消息を、いずれ提示できることを期す。2012年6月 著者」とある。
「いずれ提示できることを期す」と綴られてから2年を経て、2014年6月30日、思潮社より発行された。その2年の間、これら白いページに整然と配置された詩の言葉たちは、どのような振動を繰り返していたのだろうか。
発行からもう10年になる。生前の岩成達也氏が、このすぐれて理知的な詩集について、感想を述べられていたように思う。大切な本にはいつもそうするように表紙をトレーシングペーパーで包んで、静かに緩やかに視線を移してゆこう。
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