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ドラマは舞台の始まる前に、あるいは舞台の背後で起こっているのであった。


「ドラマは……」(手書きノート)01


「ドラマは……」(手書きノート)02


舞台の上部約4分の1を瀝青(アスファルト)で舗装されたような空が横断し、その上に不揃いな星形のブリキ細工が捩子で斑らに取り付けられている。左端の停留場。歩道の縁石を掠るように発着するバスのエンジン音。その横を走り抜ける車の唸りに混じり、時折、救急車が疾走する。ひどい騒音だが不思議と気にならない。バス停の向かい側、鼠色のシャッターを下ろした煙草屋の廂の下に縁の剝げた赤い看板が揺れている。右端には黒いグランドピアノがあり、譜面台に楽譜が開かれている。ピアノの下には擂り潰された草の滓を敷きつめたように長方形の絨毯が敷かれ、椅子が絨毯の外に無造作に置かれている。絨毯の向こうに草叢、その向こうに青黒いナイロンの海が開け、草叢と海との間の僅かばかりの砂浜にビニール製の即席プール、その中で噴水が激しく水を噴いている。噴水の傍のベンチの左端に、左腕を背にまわし、脚を組んで、男が斜めに坐っている。赤い服の女が噴水のしぶきに戯れている。男が煙草を挟んだ左手人差し指と中指を鼻先で振って何か言うと、女はのけぞり、両手を胸の前で組んで、笑いの発作にかられて突然からだを前に折る。それから弾むようにからだを起こし、さも愉快そうに早口で何か喋り、もう一度同じ動作を繰り返す。女の身振りは大袈裟で目につきすぎる。それにしてもふたりは何を話しているのだろう。ベンチの左隣りには海とほぼ同じ大きさの黒板が見える。黒板には白チョークの文字がびっしり書き詰められ、ここからは判読できない。二本線で消された部分が数箇所あり、黒板消しで軽く消されたところには白い擦り跡が残っている。教壇から降りた講師がノートを丸めては開き、教室を暫く巡回し、窓際の最後列の生徒のノートを覗き込んで、「見えるかい?」。そして窓ごしに街を見下ろす。疎らに落葉した街路樹の間に立つバス停の標識の陰からバスを待つ人影の列が右側へ三本目の街路樹の手前まで伸びている。ベンチの男がからだを起して腕時計に目をやり、ゆっくりと背伸びするように立ち上がると、女が男に寄り添い、ふたりは黒板の陰に消え、それから、バス待ちの人影の列に加わる。講師が窓際を通って教壇へ戻る。「誰か、訳してくれるかい? M君、どう?」。「まだ写せてないんです」。


この奇妙な文章の原形は、17歳、高校3年生の頃に遡る。

私は高校3年生に進級する春に、父親の転勤に伴い、兵庫県の田舎の県立高校から新潟市内の県立高校に転校した。

高校の正門を出て左手へ歩くと、300mもの長さのある昭和大橋が信濃川に架かっていた。下校して高校前のバス停から新潟駅方面へのバスに乗ればいいものを、晴れの日にも雨の日にもほぼ毎日、駅とは逆方向の橋へと向かい、右手に信濃川の河口と佐渡島の方を遠望しつつ橋を渡り、右手の折れて、古町という繁華街にある書店「北光社」や「萬松堂」に立ち寄っては単行本を立ち読みし、文庫本や新書を漁っていた。友だちもおらず、知らない土地で鬱屈していたのだろう。とにかく学校帰りには日々、長い道のりを歩き回っていた。

英語の授業のときだった、窓辺の席から左手に見える大通りのバス停を眺めながら、ふとノートに書き留めた文章が原形で、高校2年生から始めていた通信教育「ORION」の機関誌に投稿すると、掲載された。大事に持っていたはずが、高校卒業後、たびたび引っ越しするうちに紛失してしまった。残念。

その後、20歳になり、アラン・ロブ=グリエの『消しゴム』やフィリップ・ソレルスの『公園』『ドラマ』『数』など、フランスのヌーボー・ロマンに興味を持ち、高校3年生の頃のうろ覚えの文章を書き直してみたものがこれ。なんとも恥ずかし文章ながら、何か溜まってゆく靄のようなものを形にしようと模索している感じが滲んでいるかなと思い、もう40年以上も前の若書きの習作として、記念にデータ化し、残しておきます。


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