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ミャンマーへのこだわり
「どうしても、ミャンマーを」
最近の口癖なんです。
ちょっとミャンマーの話をさせてください。
"知ってしまったこと、見えてしまったこと"
これまで私は
人生の大きな選択から日々の小さな言動を
この基準で選び構成し歩んできたんです。
沢山の意思決定の中で
「もう知らなかった私には戻れなくて‥」と
何度も同じことを理由として述べてきました。
こんな私の今を構成しているのは
ngoでの仕事とミャンマーという国です。
私が仕事や日々の生活で関わる、
ミャンマーの方々はこんな感じです。
・自国に「未来はない」と留学に来た留学生
・生活に苦しむ母国の人々を救いたいと
日本に研修に来た研修生
・日本での多忙な労働の中でも、
軍政下の母国にいる家族や友人を案ずる人達
「ミャンマーは地獄だよ」
母国語でミャンマーのことを話し出すと
彼らの顔つきやトーン、勢いは普段見せてくれる穏やかで愛らしい姿とは全く異なるんです。
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2021年2月1日に発生した、
ミャンマー国軍による軍事クーデターから
あっという間に年月が流れました。
当時も私は神戸で行われたデモに参加したり
民主化を支えるイベントを開催したり色々。
タイトルの写真も2年前のものです。
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ミャンマーへの想いは
別の国へ留学をしていた間も
この2年間変わりませんでしたが、
現在仕事を通して関わりが増え
今またさらなる想いに駆られています(笑)
きっと私の心にある同国へのこだわりは
・自分と同年代の子たちが戦っていること
・抗議の形が変わったこと
・国内にいる人が声を上げられないこと
(国外にいても声を上げるリスクは沢山ある)
3つ目の意味するところは
ミャンマー国外にいるミャンマー人や
彼らの近くにいる私たちや国際社会しか
動くことができないということです。
国内にいる人たちは
今だに厳しく弾圧され続けています。
そして例えば日本なら、
勇気ある在日ミャンマー人の声や
ミャンマーの今を誰かが
伝えていかなければならない中で
その力が社会の動きが弱まっていることが辛く
どうにかしたいんです。
ミャンマーにいる人々はもちろんのこと、
日本に生きる多くのミャンマー人達も
私達が聞かない限り自国のことを話しません。
私たちへの配慮なのか、それともリスクがあり言えないのか、複雑な心境だと察しています。
彼らが声を上げられないなら、
それを消さないように拾っていきたい。
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声を上げられなくなってからは抗議の形が
こんな風に変わりました
日本にいる彼らの苦しみや
現地で闘う彼らの多大な勇気は
ミャンマーの未来のための
かけがえのない犠牲だと感じています。
明るい展望は望めない、
手のつけられないこの国のために
一体何が出来るのだろうか?
この問いに向き合う時
堂々巡りで本当に苦しくなる
だけど同時に、
私たちが脳裏に刻むべき問いだとも思います。
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ミャンマーの行く末を、彼らの日々を握るのは日本を始めとする国際社会である中で
政府には何が期待できるだろう。
後ろの影として見える大国の存在に
世界の巨大さや複雑さ、深遠さを感じる。
そして、歴史を見た時本当に民主化は
ミャンマーにとって最適解なのか疑問もある。
何より自分の足元から何が出来るだろう。
私たちは、目を背けたくなることがあり
心理的に困難になると、苦悩を恐れて
思考を停止させ、逃げます。
逃げるというか、言葉を選ばすに言うと
いつしか考えることをやめていくんです。
私もそうでした。
そうやって毎日毎週毎月毎年
エネルギーを注ぐ方向を変えてきたんです。
だけど、ミャンマーの力になりたいと想う、
これだけは不動点です。
とにかく今は
私のこの滞った思索と
取り止めのないこの感情を
どうか柔らかくほぐしていけないかなと。
この国について、生きる人々について、
この手と足と頭でもっと沢山勉強し
対話を重ねていかなければならない。
学ぶべき、知るべきことの範囲は定まらない。
自分の持っている知識や経験は行動することで初めて何からの成果に
初めて誰かの力になると思います。
完
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