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娘、中学卒業。中学生の親になって初めて気がついたことがあった

娘は明後日、卒業式を迎える。今日が最後の給食だった。洗濯を繰り返して生地が薄くなったナフキンを見て、小1から始まったアイロンがけも、もうしなくて良いのだと気がついた。成長とは嬉しくも寂しくもあるなとよく思う。

子供の成長は早いもんだと感慨に耽っていたら、自分の中学生時代の卒業式のことを思い出した。自分は結構優等生だった。成績も学年1番で生徒会の役員も経験したし、部活動でもキャプテンだった。内申点も44か45も取ったことがある。でも辛いこともあった。「頭の良い人はいいよね。」「頭のいい人でもテレビ見るんだ。」「頭の良い人はやっぱり違う。」こんなことを言われる度にとても悲しくて、疎外感を感じた。自分としてはみんなと何が違うのか分からなかったし、みんなと同じだよと心で叫んでいた。なるべく目立ちたくなかった。勉強ができることがそんなにいいことだとも思っていなかった。先生が好奇心の対象として見てくることも辛かった。この子だったらどんな答えを持っているのだろう。難しい問題があると必ず当てられる。「お前は分かるか?」クラス中が注目する。目立ちたくないのに最悪…。答えても「うわ、すげー、やっぱ違うわ。」と言われる。答えられなかったら、大したことないとがっかりされる。それも恥ずかしくて嫌だった。どちらにしても地獄には変わりない。そんなことをいろんな教科の先生が試してきた。

卒業式の話。答辞を読ませてもらうことになった。それ自体は喜ばしいことだったが、自分の言葉で考えてと言われた。インターネットもない時代、過去の答辞も敢えて教えてもらえず、いつもの先生の好奇心なのか、この子だったらどんな言葉を用意するのかと期待された。当時の私は答辞とはどんなものかもあまりよく分からず、無駄にハードルを上げられて苦戦した。結果、無難な表現しか思いつかなかったのだと思う。それでも参考になるものがない中、文章を考えるのは結構大変だったはずだ。それなのに先生は期待外れだったようで「やっぱりこんなふうになるか。」とがっかりされた。一生懸命、文章を考えて書いたのに…。とても傷ついた。

当日はそのまま読んだ。読んでいる途中で感極まって泣きながら答辞を読んだら、式に参加しているみんなもつられて泣いていた。式全体が感動モードに変わった。言葉じゃなかった。思いは伝わったのだと思う。後日、近所の同級生のお母さん達に会うたびに「答辞良かったよ。」とか「感動した。」と言ってもらえた。当時は泣いてしまったことも恥ずかしくて、もうその話はしないでとか言って避けていたけど、今思うと、所詮中学生。お母さん達はどんな言葉でも、温かく優しく見守ってくれていた。その温かさが、中学生の親になった今頃、やっと分かって涙が出た。

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