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高校生の頃の話。

さぁ、いよいよって感じです。

私にとっては今まで書いた学生時代はほんの序の口で、ここからが大本命といっても過言ではありません。ここではそのお話を下の目次に沿って、素直に綴りたいと思います。


1.不安だらけの幕開け

中学生時代のお話の時に書いたように、私は市内の進学校に通うようになりますが、その中でも学年に1クラスだけ設けられた「難関クラス」というクラスに所属していました。入学当初、医学科への進学を希望していた私にはそれがmustだったからです。

そこには各中学から集まった頭の良い子が集まっていて、同じ中学出身の子は一度も話したことがない男子1名だけという、超絶孤独な世界に入学早々放り込まれることになります。

「うわぁ…やっていける気がしねぇ」

登校初日の感想です。

でも幸いなことに今でも一番仲の良い親友に出逢うことで、この後私の高校生活は人並みに有意義なものに変わります。


2.勉強にハマった1年生

高校になって内容がさらに難しくなると、それに比例するように勉強に対する好奇心がどんどん出てきました。新しい学びを得るのが楽しくなってきたんですね。

好きな言葉は「努力」と「根性」です!

と言っても過言ではない勉強法が習慣化していたので、入学してからも変わらず、そこに好奇心がプラスされることでさらにエスカレートします。睡眠時間は2-3時間、朝起きてから寝るまで勉強漬けの日々にあっという間にシフトチェンジ。高校入学の時点でピアノと塾以外の習い事は全て辞めたので、自然に勉強時間は伸びていきました。

勉強すれば、もちろん成績が上がります。

難関クラスではテストの度、独自の順位を出していました。ペンネームを使用することで匿名性は確保しつつ、各教科上位10名程までを紙媒体で生徒に配布していたんですね。面白い試みだと思いました。他のクラスとテスト問題が違うことが多々あったので学年全体での順位は分かりませんでしたが、ある程度の基準が見えると勉強しやすかったです。

何より自分がその順位表に載るのが嬉しくて、成績を維持しようとめちゃくちゃ勉強しました。それにいくらペンネームと言えど「あ、この人が〇位なんだ」とバレるのは時間の問題で、皆「何点だった?」と自分の点数を明かすようになります。これも私のモチベーション維持に繋がりました。

でも、睡眠時間を削る生活は、体にとって毒でしかありません。

そんな生活を半年、一年と続けると体内リズムが狂い始めます。授業中は居眠り常習犯、慢性的な片頭痛持ちとなりました。2.0あった視力も1年で0.5まで下がり、今では私の本体である眼鏡が授業中の必須アイテムに。「もっと上手くやれたでしょうに…」と思う方法もやっていましたが、天才じゃない私が頭の良い皆に追いつくためには、そうする他なかったんです。

不調に気づきながら、「勉強が難しいんだから、このくらいやるのは当然だよね」と自分に言い聞かせ、その狂った生活を2年生になっても続けます。


3.普通に楽しんだ2年生

学校生活に慣れ、勉強も軌道に乗っていた高校2年生。

難関クラスは持ち上がりだったので、多少の入れ替わり(希望者)はあるもののクラスメイトの顔ぶれはほとんど変わらず、慣れた環境のまま2年生が始まりました。そのため友達とクラスが離れることはなく、人間関係に特別ストレスを感じることはありませんでした。

また修学旅行等のイベントもありましたし、部活も楽しかったので、the高校生!という感じの生活を満喫していたように思います。(途中、急病でちょっと手術をしたのですが、それはまた別の時に…笑)

もちろん勉強は難しくなる一方なのでアホみたいに狂った生活は続いていましたが、成績は維持できていましたし、まぁ仕方ないよね~と体の不調は割り切っていました。

でも、それなりに満喫できていた学校生活は、ある時を境に破綻していきます。


4.崩れ始めたバランス

私の高校は進学校というだけあって例年、高校2年の年明け頃から受験モードに切り替わります。全体集会で受験の何たるやを先生が話す、みたいなこともありました。また担任や教科担当は受験対策を早い段階で授業に盛り込んで生徒に課していましたし、休み時間に勉強しているクラスメイトも徐々に増えて行ったように思います。私もいよいよか、と気を引き締め直し、さらに勉強にのめり込んでいきました。

3年に上がるとクラスの空気は完全に受験モード突入します。みんな目標に向かって一生懸命でしたし、当然私も最初はその中でやって行けてました。

でも程なくして、私の心は徐々に崩れ始めます。

何が引き金になったのかはもう覚えていません。そのくらい些細なことだったんだと思います。

ある日の休み時間、突然教室にいるのがしんどくなりました。

何故か椅子に座っていられなくて、どうしようもなくなり、ひとまず足の赴くまま図書室に向かいました。(休み時間は10分しかありませんでしたが、図書室は私のクラスから、階段を挟んで隣くらいの距離にあったのですぐに行けました)

何を読むでもなく本を物色していると、隣接する司書室から司書さんが顔を出して「いらっしゃい」と声を掛けてくれました。初対面でしたが何となく打ち解けられて、そのまま勧められた本を借りて出ました。

元々読書は好きだったことと、短編小説だったこともあってその日のうちに読み終え、放課後には返却に行きました。「面白かったです。ーーーとか特に」と感想を言いながら渡すと「そうでしょ。また来てね。時々話に来るだけでもいいからね」と言われました。その言葉に私は甘えてしまいます。

それから休み時間の度に図書室に行っては司書さんと話をするようになりました。もちろんたまに本を借りたりもしましたが、図書室に行く目的は読書というより「司書さんと話すこと」だったと思います。

そうやって数週間が過ぎたある時、司書さんが「こっちに来てお茶飲まない?」と言いました。それは、本当はいけないことだったのかもしれません。でも私は素直について行って、司書室で紅茶を飲みました。(後々司書さんに訊いたら「肩の力抜くのが苦手な子なんだろうなと思ってね」と言われ、初めから全部お見通しだったそうです笑)

その時以来、私は図書室ではなく、司書室に直接足を運ぶようになります。とても居心地の良い空間で、司書さんと話すことで気が紛れて、授業にもちゃんと出ることができていました。

でも、夏頃になって気づきます。

その日は課題や授業の板書で司書室に行く余裕はなく、久しぶりに教室で休み時間を過ごしました。何気なく、いつもの見慣れた教室とクラスメイトを見た時に思いました。

ここに私の居場所はないのかもしれない。

当然でした。休み時間の度に教室から姿を消す人間に居場所なんてあるはずありません。友達がいなかった訳ではないですが、2年生まで一番仲の良かった面々は3年生になった時点で他クラスに移っていましたし、その頃にはクラスメイトとどう関わればいいのか分からなくなっていたんです。

一度そう感じ取ると、私の足は急速に教室から遠ざかって行きます。

サボったら付いていけなくなると思って気合いで授業を受け、休み時間になった途端に司書室に行き、チャイムが鳴る直前に戻る、という生活が当たり前になりました。

当然母親には言えないですし、担任に言ったところで「そんなんは甘えや」と一蹴されるのは目に見えてました。頑張っている友達に言える訳もありません。ただ一人で悶々と、どうにか授業に出ることだけ考えました。


5.初めて逃げた日

秋になり、受験競争はますます過熱します。

かく言う私も毎日放課後は夜遅くまで塾に通い詰め、その後朝4時ぐらいまで勉強し、6時過ぎには弁当を作って学校の準備をして登校するという生活をしていました。

学校生活を相変わらずな感じでしたし、周りに私と同じ進路を希望している人もいなかったもんですから、ますます孤独感がありました。

そんなある日でした。

いつも通り朝早くに登校したのですが、教室のある4階まで階段を上ったところで引き返しました。そのままどこに行ったかは何年も前の話なのではっきりとは覚えていませんが、始業のチャイムが鳴る時に教室にいなかったのは確かです。

しばらくしてもう一度階段を上がり、今度は教室とは反対方向にある司書室に行きました。でもそんな早い時間に開いてはいません。私は司書さんが出勤するのを、万が一廊下に出てきた先生に見つからないよう柱の陰に隠れて待っていました。

15分くらい経った頃に出勤した司書さんは最初は驚いていましたが、「ちょっと待ってね」と鍵を開けて中に入れてくれました。そのまま私は1限目、2限目と司書室で課題や自主勉をしながら過ごします。

でも私が無断欠席していることに担任が気づかないわけがありません。3限目くらいになって突然、司書室に担任がやってきました。顔がすーごい怖かった。完全にキレていたと思います。そりゃ当然ですよね。仮にも医学科を受けようとする人間がそんな授業態度でいいわけないですから。

けど当時の私は何とも言えない拘束感に襲われて、どうしたらいいか分からなくなり、高校生になって初めて先生の前で泣きました。これには流石の担任も何かあるのかと思ったのか、

「ちょっとだけ、休ませてあげて下さい」

という司書さんの言葉を受け止めて、その場を去って行きました。思えばあそこが私の限界だったのかもしれません。そして私は、その日1日を司書室で過ごして下校しました。


6.無理でもやらなきゃしょうがない

初めて授業をフルでサボった日を境に、私は完全に吹っ切れました。無理だろうがしんどかろうが、やるしかないんです。だって受験は確実に迫ってきているんですから。と同時に、司書さんに迷惑ばかりかけて申し訳ない気持ちにもなりました。ここから私は心を無にして過ごすようになります。

何も感じないようにすれば授業も受けられましたし、休み時間も時々司書室に顔を出して息抜きをするくらいで過ごせるようになりました。

11月頃になると模試でも得意科目はある程度点数が安定してきましたが、一方でどう足掻いても足を引っ張る分野も出てきます。それを克服しようと勉強時間を増やすと、当然1日は24時間しかありませんから、他の科目の勉強時間に皺寄せが来ますよね。そこで頭のネジが外れた私はこう思います。

「寝なきゃいいんだ」

アホの思考回路ですよね。何を思ってそうなったのか、今の自分でも不思議でしかありません。きっと極限状態だったんでしょうね。

そこからの睡眠時間は1日平均1時間になりました。そうなって来るともう何が何だか、起きているのか寝ているのか、自分が正常なのか異常なのかさえ判断がつかなくなります。でもそんな中でも勉強すれば点数は自ずと安定したので、これでいいんだと言い聞かせていました。

ですがそんな生活が1ヶ月程続いた頃、ある事で明らかに自分がおかしくなっていることに気づきます。

「あの人...誰だっけ」

私の名前を呼んで手を振ってくれている友達の名前が出てこなくなったんです。顔は分かる、仲良くしてくれているのも分かる。でも名前が出てこない。とりあえずその場は適当に凌いだのですが、その時は何度考えてもやっぱり思い出せませんでした。

流石にこれはマズいと思い、すぐにそのヤバい生活を止めました。あの頃の私の体はかなりボロボロだったと思います。


7.受験到来

その後何とか生活リズムを整えつつ受験勉強に励んだ私は、無事にセンター試験で目標点数に到達する事ができました。

そして、医学科の推薦入試を受けます。

結果はダメでした。筆記は合格したのですが、面接で失敗して不合格になりました。でも別に落ち込むことはありませんでした。別の目標があったからです。そこから私は、2次試験に向けて勉強をシフトしていきます。

当然医学科を受ける、と思ったアナタ。私の担任もギリギリまでそう思ってたらしいので、正しい見立てだと思います。

でも、私は看護学科に進むことにしました。母親とよく考えた上で、本当に自分のやりたいことは看護師の方が近いのかもしれないと思い、方向転換したんです。

もちろん担任もびっくりでした。でも三者面談で「もう決めたので」と親子で押し切り、そこを目指して受験対策していくことになりました。

この時、ちょうど2月頭くらい。私たち3年生は「仮卒」を迎えます。

仮卒を終えると、今度は2次試験に向けて各々が受験に必要な科目の授業を受けて、受験対策をするようになります。当然私も受けるべき授業がありましたし、カリキュラムを組まれていたような気がします。

でも私は、それを蹴りました。


8.遂に登校しなくなった日

タイトル通り、私は仮卒と同時に学校に行かなくなりました。なので2次試験に向けた授業は一切受けていません。ただ代わりに、家と塾でめちゃくちゃ勉強しました。

幼い頃からスパルタだった母ですが、これに関しては「いいんじゃない?」と自分でできるし行かなくていいじゃんくらいのノリで受け入れてくれました。

だから仮卒以降、3月の卒業式を迎えるまでの約1ヶ月はほぼ学校に行っていません。本当は良くないことだし、学校で頑張っている人に悪い気持ちもなかったわけじゃないです。でも学校に行くのが死ぬほどストレスだった私には、ここがもう限界で、これ以上は耐えられませんでした。

おかげでこの間に生活リズムはちゃんと整い、睡眠時間も確保でき、それまで感じていた不調はあっという間に改善されました。 


9.そして、大学へ

3月、無事に大学合格した私は、結果を担任に知らせるため学校に行きました。

「お前のことは全く心配してなかった。受かると思ってた。おめでとう」

少しは落ちる可能性考えて心配しろよ、と思いましたが、ちゃんと勉強してると信じてくれていたと良いように捉えることにしました。

それと同時に「すみませんでした」と伝えました。授業をサボったこと、担任の勧めを押し切って志願書を出したこと、仮卒の後来なかったこと全部を謝りました。でも「ま、結果オーライっしょ」と深刻さ0で笑い飛ばされました。まぁ、そういう担任で良かったのかもしれませんね。

そんなこんなで無事に高校卒業できた私は、また大学でいろいろとやらかします。ほんと、やらかしまくりの学生時代なんです。でもそれはまた、別の機会に綴ることにします。


長々と高校時代のことを書き連ねてみて、私ってとんでもない学生だったんだなとしみじみ思いました。これを読んだ学生さん、決して、決して見習わず、生活リズムを整えながら試験に臨んで下さいね。

おわり。



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