最初から最後まで面白くなかった。まったく感動もなく、心を動かされるシーンもなかった。本当に残念。
自分は、西野亮廣氏に対してアンチでもファンでもない。ただ彼の人間性とマーケターとして能力の高さを大きく評価している。
正直「どうしてこうなった?」感が半端ない。
興行的成功というものを狙うとこうなるのだろうか?
「絵本だと、1、2万部売れれば成功と言えるが、映画はやはり何十万人、何百万人の人に見てもらわないと失敗だから・・・」という話を西野本人が自著の中でしていた。
エンタメであることは悪いことではない。もちろん。しかし、西野が表現したかったメッセージはすごくはっきりしていた訳で、そのメッセージをいかに感動的に盛り上げて伝達するのか、ストーリー展開や演出をするのか?が製作者や監督の仕事だとすれば、監督は西野が作品に込めたメッセージを作品のコアにして映画作品として創り上げたのか? 疑問が残る。
ストーリーは誰が書いたのか? 西野自身か? それともプロに依頼したのか? 何れにしても承認したのは西野だから「これではメッセージが伝わらない」と却下せずに妥協したのは、やはり興行的成功という呪縛のせいか?
西野がこの『えんとつ町のプペル』という作品に込めた想いというのは西野の本で読んで知っており、共感を感じていた。ゴミ人間というキャラに何を込めたのかも・・・それだけにこの映画のつまらなさには肩すかしを食らった感じだ。
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そういえば、この腐る通貨のエピソード、今のお金の仕組みに支配された世界構造への批判としてはアリだが、このエピソードの使われ方がへん。
腐る通貨で世の中が豊かに幸福になった → しかし、中央銀行がそれは良くないと弾圧 → 反乱して腐る通貨を復活させた子孫が、外の世界と遮断するために煙で街を覆った → ってことは異端審問の人たちは、腐る通貨で世の中を豊かに幸福にした人の子孫? → じゃあ、人々がお金崇拝主義に走らないように煙で外の世界との交流を遮断している?
つまり、この設定だと、星の実在を世間に知らしめる必然性が薄くなるというか・・・・。
そもそも世の中を豊かに幸福するために腐る通貨を流通させた平和主義者の一族の子孫がなぜ、黒い煙で街を覆い、光を遮り、異端者を迫害するのか? 腑に落ちない。
結局、こういういい加減な物語設定のおかげで登場人物にまったく感情移入できずに最初から最後まで白けた気分で見終わった気がする。
再びAmazonレビュー