見出し画像

自然に帰りたい

「自然に帰る」というのが私の本当の欲望なのかもしれないと最近思う。

幼少期は海が近くて田んぼがあったりと不便を感じない程度の田舎で育った。
中学生になると東京に引っ越して、最初こそは憧れていた東京での生活に心躍らせて「私もテレビで観るような芸能人みたいな生活になるんだ!」と、とてもワクワクしていた。

東京での生活も慣れて田舎でのあんな不便な生活なんか絶対無理だし無意識に心の中で地元に住んでいる人のことを軽蔑していた。都会に住んでいる自分の方が優れていると思っていた。

大学に入るとオーストラリアへ移り住んで、そこは東京ほど都会ではないが、程よく自然があって程よく買い物をする場所もある地域だった。
最初の数年はいつも東京の戻って色んな新作コスメや人気のカフェなど行きたいととにかく思っていたが、パンデミックで日本に帰れなくなった頃から今あるこの場所を好きになろうろ思い始めた。

それをきっかけにその地域が大好きになり、週末になると人の少ないビーチへ行って散歩してコーヒーを飲んで砂浜で人間観察をしたりすることが幸せだと感じるようになった。でもその幸せは今まで感じたことのないような幸せ感で、心の底からじんわりと包み込んでくれるような温もりがあって、自然と口元が笑顔になっているような感覚だ。

それを感じるようになってから日常に広がっている小さな幸せに気づくようになり、穏やかで自然の温もりに触れられる時間を無意識に作っていた。社会から離れて自分と自然だけの時間が何より大好きだった。

長いオーストラリア生活に幕を閉じて日本へ帰国して1ヶ月。先日日光と那須へ夫と旅行へ行ってきた。

日光はメインの観光地を訪れたため人が多くて一箇所をじっくりと観ることはできなかった。楽しかったがなんだか夫も私も人の多さで疲れ切ってしまった。

2日目は全くのノープランで夫が前から気になっていたという那須になるアートビオトープという所へ行ってきた。

そこは車で少し奥へ入ったところで自然の中にポツンとあるような場所だった。中に入ってみるとガラス工房であったり、小さなカフェ、アーティストショップといったものもあった。レセプションではうっすらと聴こえるクラシックの音楽と、ところどころに手描きの絵が描かれていたりと、とにかく人の手によって作られた温かい場所だった。

水庭という場所を散策するのだが、そこに入り込んだ瞬間に別世界にいるような感覚になる。全部の木が同じくらいの高さで、人の手が加えられたことによって成り立っている自然の美しさというものを感じられた。

久しぶりに自然の中に身を置いて無意識にはぁーっとため息が出た。
お風呂に浸かった時に出るため息のようなものだ。

心と体が完全にリラックスして自然に全てを奪われている瞬間が私は大好きだ。
今この瞬間だけは忙しい世界から離れて自然と私で対話をする時間。

日本へ帰国してから私はずっとこのような空間を求めていた。

常日頃夫とは「2拠点生活にしたいね」なんて話しているが、やはり私は自然のある場所で自然と共に生きたい。心を静かにして自然の音を聞いて自分自身を見つめる。そうするとスルスルと本音の自分の心の声が聞こえてくる。

正直最近の私は日本へ帰国して漠然とした何かに追われる不安、そして空っぽのままで自分が怖くて何をすればいいのかも分からず息が詰まっていた。

でも自然のある場所へ来て、自然から壮大なパワーをもらった気がする。
「私は私の心に耳を澄まして自分の美学を貫いていけばいい。何が正しい何が優れている、〜するべきの話はどうでもいい。」そんな事を感じた。


都会は色々な人やモノ、情報で溢れている。
音や光、匂いなど敏感に感じてしまう私は我慢しているだけでやっぱりこの環境で生活するのは好きではないと再認識した。

自然と共存しているような場所で素材の味を楽しんだり、四季を感じながら暮らしたり、何かに対して愛と感謝の気持ちを持って接することができるほど心に余裕にある暮らしをこの先6年以内には目指したいと思う。

自然は偉大なりというお話でした🌱


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?