見出し画像

亡き母親に対する想い

私の母親は、十数年前に亡くなっています。
私は母親が大好きでした。
(それは、家族みんながそうでしたけどね)
私は末っ子で、母親から過保護に育てられて、一時期は反抗したりもしましたが、大人になってからは趣味が近いことが判明し、母親との会話がとても楽しくなりました。
本のこと、映画のこと、ドラマのこと、色々と話し合って同じように感じていることを確認しあって、母親の持つ体験談も聞けば面白くて、家事のことなら聞けば何でも教えてくれて、新しいことはこちらの独壇場で、ちょっとギャグを言えばゲラゲラ笑ってくれて、自分の中で非常に大きな存在となっていました。

後で考えてみたら、自分が理想とする女性像って、母親のことがかなり被っていたのです。
小柄で痩せ型の美人というのもありますし、趣味が合うとか、立場的に対等で押したり引いたりのバランスがいいというのもあります。
人前で大声を出したり馬鹿笑いをしないとか、基本的なマナーがしっかりと身に付いているとか、いつも客観視しながら優しさを忘れない態度だったりとかが、非常に心地よかったのです。

母親に感じる心地良さを同世代の女性に求めることが間違いだというのは理解しています。
昭和一桁で専業主婦で三人の子供を育て上げた母親と同じものを、同世代の女性が持っているわけがありません。
でも付き合っているうちに、私は足りない部分ばかりが気になってしまうのです。
自分だって全然足りない男なのにね。
それで結局は別れてしまい、今は一人で気楽に生きているのです。


男はみんなマザコンだなんて言いますが、私は間違いなくそうだと思います。


筋肉少女帯の曲で、『生きてあげようかな』というのがあります。
(アルバム『エリーゼのために』の6トラック)

大槻ケンヂってあまり好きな人ではないのですけど、この曲なんかはとても好きです。
何かの理由で死のうと思った少女が、色々な不幸な人達のことを思い、自分が代わりに生きてあげようかなと自殺をやめてうちへ帰るという曲です。
大槻ケンヂはよく、少し足りない少女を応援する曲を作ります、これもそうです。

この曲の中で、少女が恋した男は既に亡くなっていて、天国から少女を見下ろしているという描写があります。
真上から見ているので普段は、少女の頭しか見えない。
少女がもう少し生きてみようと空を見ると、男は少女の瞳を見ることができる。
なんてロマンチック。


私はね、ちょっとラッキーなことがあると、母親が天国でちょっとだけ助けてくれているのかも、なんてことを考えてしまうのです。
そういうとき、もし野外にいたら、この曲を思い出し空を見るようにしています。
母親が可愛がった末っ子は、こんな年寄りになってしまっているけれど、顔を見せてあげたら喜ぶかもって思ってね。
小さい頃に泣いてばかりいた男の子は、こんな大人になりましたよ。

できることなら、もっともっと親孝行したかったです。


最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?