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海外での出産で、優しい言葉をかけらた話

第二子を産んだ病院

 34歳の時、私は二人目の子を妊娠した。当時住んでいたのはオーストラリアのシドニーだ。
しかも前年に、父も亡くなってしまった。
英語は現地の大学院に通っていたくらいだから、一応出来る。
しかし、オーストラリアでの出産方法等が分からない。日本と同じなのか違うのか不安だった。

初めての妊娠30歳時に実母がいないことは、不安だった。が、深く考えないようにした。考えたところで、母が生き返るわけではないし、どうしようもない事だからだ。余計悲しくなるだけだ。

当時、父は存命だったから色々と夫と父に妊娠中のあれこれを話して聞かせた。妊娠出産には父も夫も大いに役立った。

不安の対処法には2種類あると思う。
一つは解決法を知ることだ。もう一つは、解決は無理でも、不安な気持ちに誰かに寄り添ってもらうことだ。

第一子妊娠中は私の体調は順調であったので、特に不安はなかった。そして無事に出産できた。

二度目の妊娠とは言え、一度目と同じように上手くいくとは限らない。
また、両親とも亡くなってしまったのは、心底こたえた。

海外では日本から実母が出産の手伝いにやって来る人もいる。近所でもいた。

 妊婦の最初の健診に病院に行ったところ、「何か心配事はある?」と女性の看護師さんに聞かれた。
今までだったら「特にありません」と言うところを思い切って本音を言ってみた。

「実は私は両親とも亡くなっていて居ません。
夫はいるけれども、外国での出産が心配です。
寂しいです」と。


するとその看護師さんは、私のカルテをさっと最初から目を通し始めた。
そしてこう言った。

「あなたは34歳の今まで、手術を一度も受けたことがないのね。入院もしたこともないのね。第一子の出産以外では。何て健康で、ラッキーなの!」

それは事実なのだが、私をなんとか励まそうとしているのが、はっきりと感じられた。

「本当に?」と聞くと、

「そうよ。普通34歳だったら、一度や二度入院したり、手術しているわよ」

それが事実か否かは私にとってどうでも良かった。
数少ない私のデータからひたすら、何とか励ませる要素を探してくれたのが分かった。

多くの陽気で気さくなオージーと違い、その看護師さんは暗くて口数の少ない素っ気ない人に見えた(失礼!)。
だから、その意外な言葉に余計に感動した。

その場では泣かなかったが、思い出すとその励ましは、涙が出るほどありがたかった。
そして、20年以上経った今でもハッキリと覚えている。
その後は安心できて、無事に2人目も出産できた。

この様に、ちょっとした寄り添いで心が安まることもあるのだと知った。彼女が私にくれた安心と心づかいはとても大きかった。
この様に私達も見知らぬ人にも親切にしたいものだ。

さて、話は飛ぶが私は約5年前から「マザレスお嬢」という早期に実母と死別した女性の会を主宰している。「マザレス会」とも呼ばれている。
会の名前は、母親がいない人のことを英語で、“Motherless”という事に由縁している。

主に10代、20代、又はそれ未満で母親と死別した女性の集いだ(因みに私は27歳の時に母を亡くしている)。
活動は三ヶ月に一度集まっては、各自の母親を亡くした悲しみや、その後どんな苦労をしたのかなどを語り合い、傾聴し、慰め合っている。
仲間によるピアカウンセリングのグリーフケアの会だ。

これは、私の世間への恩返しでもある。
皆さんのお話を聴いて、共感している。
「辛かったですね。よく頑張りましたね」と。
皆さんからは、

・初めて心の内を素直に話せた、
・じっくりと聴いてもらえた、
・共感してもらえた。
・同じ境遇の仲間がいる


と好評で、何回か参加して元気になって卒業していく方もいる。

そこでも実母無しでの出産が辛かったという話は出てくる。そんな時、黙って手伝ってくれる人が現れる場合もある。が、多いのは、 

「あなたは偉いのよ。立派だったわね!」

と近所の人や、知り合いに言われて嬉しかった事のようだ。

こんな風に、言葉だけで人を幸せにすることができるのだ。
素敵なことだと思いませんか?


これからも私はこれを心がけて行こうと思う。

#やさしさに救われて
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