背骨と母


一昨日、おばあちゃんの背骨が折れました。

震える手でスマホを握り、祈るような気持ちで病院を探す母。「愛知 背骨 病院」とでも検索したのでしょうか。すぐに「あいちせぼね病院」という脊椎専門の病院を、祖母の家の近くに見つけました。背骨の神様ありがとう。不幸中の幸いでした。

話を聞けば、ほんの少し麻酔をかけて注射し、セメント(?)を背骨に詰めれば一日二日で完治するとのこと。親戚一同ひと安心です。しかし手術は一か月後。背中が痛くて生活に難儀している祖母をサポートするため、母は明日からしばらくの間実家に帰ることになりました。

突然家庭や職場の持ち場を離れる母は、各所に送る「ごめんね」と「ありがとう」のメール文面をつくりながらこうつぶやきました。

「コピーした文章は、いつもどこへ消えるのかしら」

せぼね病院は的確な検索によってすぐに探し当てるのに、コピーしたテキストは引き出せないなんて。「コピペ」のぺを知らずしてコピーしていたとは驚きです。「美容院前で待ち合わせね」を「びよま」と略す母が、最近「びよ」としか言わなくなったのも、何かの暗示だったのかもしれません。

こうして、大変不本意ながら、明日から父との二人暮らしが始まります。我が家の屋台骨を失った父娘は、しばらくの間、朝昼晩シリアルだけを食べて過ごすことになるでしょう。背骨はカラダにとって、母は家族にとって、なくてはならない存在なのだと、身に沁みて思う水曜日の夜です。


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