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日記~いきすぎた人~
最近、学びをするにもスペシャリスト、それを一本で仕事にしている人、尊敬を込めて言うと「いきすぎた人」を選ぶようにしている。
その分野で、いかにオタクで変態かをジャッジにしている。
そういう人たちは大体1つの質問に10で返してくれるし、自分の血肉の一部になっているので言葉にも魂がこもっている。言葉に魂をこめられるのは体験と失敗と挫折を繰り返して今がある人にしかできない術かもしれない。言葉に魂がこもっているかどうかは、実際に会って話してみないと分からない。
本題はここから。
とあることを学びたくて、いきすぎた人に会いに東京まで行ったのだけど、終始もやもやが止まず、帰ってきても数日もやもやしてしまい、ついには言語化の魔術師である夫に話すことにした。
夫は言語化の魔術師(勝手に呼んでいる)私が言葉にならないこんがらがった感情の紐のようなものをそのままペっと吐き出して「これ何?」と聞くと、シュパっと真っすぐな紐にして「大事なのはココだ!」と短い紐にしてくれるところで、そうそうこれこれ~となる爽快感ったらない。
その日も、いきすぎた人と対したことで生まれた「こんがらがったモヤモヤ」をペッと吐いて「これ何?」と聞いた。
「まあ、知識の深さと人間性の深さはイコールじゃないからね」
と、魔術師。それだ。間違いない。
そのいきすぎた方は、その分野への愛や想いは強いけど、それを知りたいという人間への愛情は感じられなかった。別に、知識と体験が手に入れば人間性は関係ないと考えるタイプなんだけど、同業者や他人への不満を言うことを「自分は孤高であるから」と正当化しているのが気持ちよくなかった。
とても興味深い分野で、おそらく世界的に見てもその人からしか教われないことだけど、この人から学ぶ気にはなれなくて結局やめた。その方は後継者がいなくて悩んでいたみたいだけど、後継者を作る気が自分にないということに気づいていないようだった。
作る気がないというより、材料がレアすぎるために価格や流通含めて後世に今のまま伝えるのはあきらめているようで、あきらめのエネルギーが伝わった。
伝えられない文化は廃れる。
どうせ分からないよね、どうせ伝わらないよね…という「どうせ」の負のパワーってすごく大きい。知識の深さの人間性の深さが一致しているいきすぎた人は、「どうせ」の精神は全くなくてどんな人にも同じエネルギーで話す特徴がある。
最近会った人だと、菌ちゃんはすごかったなぁ。本人に伝える気しかなかったし、話終えたとロビーであしたのジョーのラストシーンみたいに燃えつきているのを見て、なんてかっこいい人なんだと惚れ惚れしてしまった。だから菌ちゃん農法はいま日本中に広まっているんだと納得した。
伝わる気で伝えるか、伝わらない前提で伝えるか、シンプルにそれだけの問題のような気もするが。
今日はこの辺で。
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