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うんこ論。生まれた途端に「分解し、分解されつつある存在」として

今日45歳になった。

だいぶ大人なったものですが、最近よく考えていて、良く周りにも話すのは「うんこ」のこと。もちろん、45歳なので、比喩的な意味も含んだ「うんこ」です。

来月、上京区のお寺である「うむ」というセミクローズド(?)イベントで、久しぶりにカホンを演奏するので数年ぶりのスタジオ入り。
(数年前の音源↓
https://m.youtube.com/watch?v=-yq0IO8BCrA&feature=youtu.be)

スタジオの後、ギターボーカルをしてくれるお坊さんの友人とグラスを傾けながら合意したのは「音楽を演奏するとかアートを生み出すってのは、心と体からアウトプットする、いわば気持ちの良いうんこみたいなもんだよね。スッといかない時もあるし、スッといい形で出る時もよね」ということ。

音楽に関わらずいわゆる「クリエイター」達は、本物であるほど、クリエイションというのは既に預かり知らない所で行われている精妙なもので、それが自分達をパイプとして通ってアウトプットされていると謙虚に知って実践されているように見える。

発酵食堂カモシカとして、面白い生産者さんや、尊敬する醸造家さん達とお話ししていても、「自分達はお手伝いしているだけ」という様なことを言う。

自然の摂理の中で、何かを生む=何かをインプットしてアウトプットする営み、と捉えると、生も死も分解も創造も当然おんなじ1つのサークルの中にある。

その自然循環の中での動物の役割は、いかに良いうんこを出すか。だって、そのうんこは、本来は「水に流す」より、虫や微生物や植物の肥やしとなり土を育んでいくものだから。

例えば、野生の狸がわざわざ山の上にまでいって用を足すというのは、それが山頂付近の土に分解されながら栄養となり、雨で少しずつ土壌に染み込みながら、川や海までを満たしていく「聖なる排泄物」であると本能的に知っているから。

そういう野生動物達と同じように、最も古い命の先輩「菌類」のあり方に沿うのが、最新の子孫としての「人類」の自然なあり方だとすると、何か凄いものを創造してやろうといきむのではなく、頂いているものを咀嚼して分解して次の分解者の為にそっと置いて来るのが最上。計らい無き清々しい営み。

全ての創作物、クリエイション、表現が、動物としての人の排泄物なのであれば、気持ちよくセッション感を持って素早く出す、そこを追求するのが気持ちが良いのでは無いかとグルグルと考えていた夏なのでした。溜めたり、滞らせたり、持ちすぎたりせず、サラサラと流していくこと。

突き詰めれば、人間1人1人も星のうんこなのだから、生まれた途端に「分解し、分解されつつある存在」という意味で、みんな等価すぎる。

さて、今日は「うんこ論」を通じてこれまでと、日々への感謝をお伝えしております。いつもありがとうございます。

今年も、好きなものをありがたくインプットさせて頂いて、咀嚼して分解して、気持ちよくアウトプットできる、そんな滞りの少ない存在でありたいと思います。

発酵食堂カモシカは、10/11に「発酵ラボ」をオープンし製造拡大、カモシカのコンサルでは関わる会社様が随時8社程となり、後2社くらいがっつり行けるかな。https://kamoshika.kyoto.jp/consultant
どちらの事業でも、創造するというより、発酵から「分解の哲学と技術」を学び、自然の摂理に委ねることを大切にしています。

お母さん、お父さん、1977年9月16日に、この世に生み出してくれて、ありがと〜

think cosmically
act on the toilet

頂いたサポートを誰かをサポートするエネルギーにして参ります。