夏目漱石の「永日小品」を少しだけ読んだ

私の尊敬する作家さんが、「永日小品」を読んでみるといいと言っていたことをふと思い返して青空文庫のアプリで読み始めた。そう、少し前に青空文庫にアプリがあるということに、何かの拍子に気づいたのだった。確か読書記録をつけるアプリに悩んでいたのだと思う。ブックメーターを使っていて、結構使い勝手がいいのだけれど、かなり前から適当な感じで使っているので改めていちから始めたくなった。それでごろごろしながらアプリストアを色々見ていたらなぜか青空文庫にたどり着いた。アプリの方が数段読みやすい。やはり縦書きだからだろうか。

前から二つ目の、蛇の出てくる話が好きだ。蛇が、鎌首を持ち上げて叔父さんとそっくりな声で人間の言葉を喋るのにびっくりする話。夢か現実かわからないようなところがいい。だから夢十夜ももちろん好き。

その作家さんは、こういう系統の「小品」とか「私小説」とか「日記文学」とかいう、日本特有のジャンルは、それっぽく書かれてはいるが本当のことなのか誰にもわからない、と言っていた。確かにそうだ。こうやってブログに書くものは、昔で言うところの「日記文学」に近いものなのかもしれないし「永日小品」の1作目は虚子がやってきて鼓を叩いた話だが、虚子というのがあの虚子であるかどうかだってわからないし、本当にあったことを少し誇張して書いているのかもしれない。誇張の度合いだってわからない。私たちだってそうしたっていいのだ。なんだか「書くこと」が一層ひろがりを持つように感じる。わくわくする。「ブログ」は現実に起きた本当のことだけを書かないといけないと誰が決めた。

かといって、先日ツイッターで起きた事件のように周りが心配するようなこと、社会的な倫理に反することを書き散らして炎上を狙うようなことはどうかと思う。

私も本当かどうかわからないけれどちょっとくすっとできたり、ちょっと心にひっかかったりするような文章を書いてみたい。私は人よりも少し客観性があるらしく、文章がわかりやすくて冷静だと言われる。でも、それって情感がなくてつまらないということでは、と思ったりもする。わかりやすくて冷静、は多くの人に言われるということは一方で美点なのかもしれないので、残しつつももうちょっと遊んでみたらどうだろう。いろんな遊び方がありそうだ。「永日小品」でも、五感を研ぎ澄まして感じた音や目に入ったものが、今まさに見たり聞いたりしたように書かれているから面白く読めるんだと思った。そういうのもやってみたい。(ということを書きながらあんまり創造的な文章にはなっていないのだったけれども。明日から、ときたま、気づいた時に、頑張る)

#日記 #永日小品 #夏目漱石

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