見出し画像

「感情資本主義」を学んだら、息苦しさの原因が分かった話

先日、ある経済誌で「感情資本主義」に関する記事に出会った。
勘定資本主義とは、近代資本主義を「感情」という視点から読み解く考え方である。
小難しく聞こえるかもしれないが、私はこの考え方を知り、自分が生活で感じていた息苦しさの原因を見つけることが出来た。
経済学的なバックグラウンドがなくとも、日常生活に気づきを与えてくれる概念だと思うので、簡単に感想を紹介したいと思う。
なお、詳しい内容については文末の書籍等を参照されたい。

①「感情資本主義」とは何か?

まずは「感情資本主義」の内容を簡単に紹介したい。
感情資本主義とは、近代資本主義の発展を「経済的行為のエモーショナリゼーション」「感情生活の経済化・合理化」のプロセスとして捉える考え方である。
正確ではないが、近しい表現で言い換えると「資本主義が発展してきて、仕事でも感情を管理しないといけないし、逆にプライベートでも損得感情が入り込むようになったよね」ということである。

「経済的行為のエモーショナリゼーション」は、経済的行為の一環として、感情や心の管理が扱われるようになったプロセスを指す。
現代では「健康経営」や「ウェルビーイング経営」、採用における感情知能(EQ)の利用などが、このプロセスの現れといえる。

大本には20世紀における心理学等の発展がある。
この時代に、感情の科学的研究が進んだことで、心や感情がコントロール可能なものとして扱われるようになった。
そして、自由主義的な考え方と相まって、個人は自身で内面のバランスを取り、人生を選択していくことが重要視されるようになる。

さらに、心理学の発展は経済的な影響も与えた。
企業経営において生産性向上の手段として感情管理が重視されるようになったのである。
企業は個人の心や感情の状態を適切に管理することを、経営成績の向上を目指す手段の1つとし、個人も職場では感情や心を自らコントロールすることが求められるようになった。

以上の「経済的行為のエモーショナリゼーション」が仕事に感情・心の話が入り込むプロセスとすれば、次に説明する「感情生活の経済化・合理化」は、日常生活に経済的考えが入り込むプロセスである。

資本主義が発展するにつれて、普段の生活を経済的に・合理的に考えようという傾向が強まってきた。そして、他者との関係性においても、一定の損得勘定が入り込むようになったのである。
例えば、日常生活で何をするか、或いは誰と付き合うかに、「コスパ」「タイパ」の観点を持ち込む人が増えていることが、具体例として挙げられる。
資本主義の中で、いつの間にか「感情」的な充実だけではなく「経済的・合理的」な生活を目指すようになっているのである。

②感情資本主義がもたらすもの…エモディティと愛からの撤退

感情資本主義が現代にもたらしたものとして、代表的なものが2つある。

1つがエモディティ≒感情商品である。
エモディティとは、無形で人や感情の変容をもたらすプロセスを商品化したもののことを指す。「コト消費」の対象となる商品というと、想像しやすいのではないだろうか?
マインドフルネス・ヨガのワークショップ・ウェルネスを重視した旅行など、感情を管理する助けとなり、心をより良い状態にできる体験が、商品としてより高い価値を持つようになった。
仕事で感情や心を適切に管理することが求められる一方で、私生活を合理化しなければいけない私達は、このような商品に益々魅力を感じ、だからこそこのようなビジネスが伸びている。

2つめが愛からの撤退である。
言葉自体は雑誌で使用された特有のものかもしれないが、現象としては「選択の自由の中で、あらゆることがオプション化した中で起きる、関係性も含めた選択の放棄」を指す。
例えば、現代ではマッチングアプリなどを通して、趣味や嗜好が会う人・結婚相手などの候補を簡単に見つけられるようになったはずである。しかし実際には未婚化や孤独の問題など、関係性の欠如を原因とした現象が起きている。
感情資本主義ではこれらの現象を、無数の選択肢を与えられた現代人が、その経済性・合理性を評価・査定して選択することの負荷に耐え切れず、選択自体を放棄することによって起きるとしている。
例えば、マッチングアプリで多くの候補が出てきたとしても、それら全てを1つ1つ査定し判断することは難しいのは想像に難くない。そのような時、人間は選択自体を放棄し、人と関係性を持つこと自体を放棄するとしている。

③ 気付き

私は感情資本主義の話を読んで、日常生活における息苦しさの原因を言い当てられた気がした。
「日常生活でコスパや効率性の考え方を持ち込みすぎていたのではないか?」と気付かされたのである。

「家事の効率化」「隙間時間の活用」「損しない生き方」といったフレーズは、今や当たり前のように生活に染み込んでいる。私も、家事は効率化したいのでワークフローを考えていたし、時間やお金の活用法を凄く気にしていた。ただ、何だか息苦しかったのである。

経済性や合理性は、仕事においては大切。
日常生活でも、お金のやりくりで経済性を気にする時だってあるし、時間を作るべく効率化すべき時もある。

ただ、全く別に、自分が楽しいと思うか、安らげるかといった観点で、行動や判断をしていく場面を作らないといけない。
経済学も元々「効用」を扱っていて、必ずしも金銭的価値やパフォーマンスの話だけではなかったはず。
それが出来ていないから、何だか息苦しいのではないか。

そう思った私は、生活の中で意識的に「合理性を求める場面」と「感情を優先する場面」を区切り、その線引きを変えながら、心地良い塩梅を探している。

今の所、以下くらいの区切りが私にとっては丁度良いらしい。

<合理性を求める場面>
・仕事、及びそれに関する戦略の決定(転職・資格取得など)
・家計と投資

<感情を優先する場面>
上記以外!笑 例えば、
・人間関係(損得や忖度ではなく、感情で決める)
・時間の使い方(家事や旅行に合理性を持ち込みすぎない)

勿論、はっきり白黒ではないし、グレーゾーンもある。
特に、時間の使い方は、ある程度計画や合理性がないと、やりたいことが達成できなかったりする。
ただ、これを意識するようにしてから「ま、いっか。心地良いし」と思える場面が増えて、常に何かに追われているような気分から、少し脱出できた。

現代社会では心のケアも自己責任と言われがちだからこそ、自分で線引きをして、心地良さを守っていきたいと思う。

④ 参考文献・雑記

以下はまとめきれなかった感想の雑記。
・まずは「感情は自分のもので、仕事の為でも他人の為のものではない」ということを思い出せるようにしたい
・健康経営、ウェルビーイング経営など、手助けはありがたいが、別に仕事の為にやってるわけじゃない。むしろ、仕事で損なうから補償してもらうくらいの気持ちでいい気がする。
・損得勘定で動く人間関係(仕事方面)と、それ以外の人間関係は、多少混ざることはあっても、基本的に分けたい。
・感情資本主義の中で、「恋愛」は非常にコスパが悪い。個人の選択の結果なので未婚化も少子化もそれ自体悪いとは思わないが、対策は難しい?
・「選択の放棄」はエーリッヒ・フロム著の「自由からの逃走」を思い出す。感情生活にまで入り込むと触れられていただろうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?