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ラスト・ダンスは私に

7〜8年前、仕事も私生活もどん底だった頃、デザイナー・カメラマンの知人が「最近面白いと思ってるミュージシャンがいて、今度私の事務所でライヴをやるので来ませんか?」と誘って下さった。「古我地」という沖縄出身で沖縄民謡を主体にそれ以外の歌も彼流のスタイルで歌う歌手。「ラストダンスは私に」もしばしば歌われる曲のひとつだった。

彼はこの歌を“越路吹雪”の日本語の歌として知ったそうだ。女性が男性に向けて語りかける歌として。でもこの曲は1950~60年代に活躍したアメリカの黒人男性コーラスグループ「ザ・ドリフターズ」がオリジナル。古我地はライヴで若い聴衆に向けて「多くの日本人はこれは女性が男性に向けて歌っている曲と思っているけれど、もともとは男性が女性に向けて歌っている曲なんです」と話している。

私自身もこの曲への出会いは古我地と同じだった。私がまだ幼稚園の頃、日曜日になると父が越路吹雪のレコードをかけていた。その中に「ラストダンスは私に」も含まれていた。音楽が好きという自覚もない子どもの頃に、私の記憶に越路吹雪が歌うこの曲は深く刻み込まれた。だからこれは女性が男性に向けて歌っている歌であり日本の曲であると思っていた。

高校生くらいの頃“シャネルズ”が爆発的人気となり、そのルーツたるドゥワップ・ミュージックが脚光を浴び、50年代60年代のアメリカのドゥワップのレコードが数多く再発された。いっぱしの洋楽好きに育っていた私はそれを何枚も買い込んだ。その中にザ・ドリフターズの”Save The Last Dance For Me”が含まれていて、その時初めてそれが越路吹雪の「ラストダンスは私に」のオリジナルであることを知ったのだった。

その歌が男性が女性に語りかけるアメリカの歌であることを知った後も、自分のパートナーをパーティー会場で自由に振舞わせる男の(あるいは女の)余裕を歌っているのだと私は思っていた。

ところが古我地の歌うこの曲を聴いた後のある日、音楽好きの先輩と酒を酌み交わしていた時、この歌の本当の意味は違う、と聞かされた。曰く“なんで男がパーティーで自分のパートナーが他の男と踊るところを見ていなければならないか、おかしいと思わない?普通そういう状況だったら、男も見ているだけでなく他の女の子と踊るでしょう?それはね、この曲が戦争で負傷して身体が不自由になって帰ってきた軍人の歌だからなんだよ。自分は身体が不自由でパーティーで踊ることができないけれど、自分のパートナーにはせめて誰かと踊って楽しんで欲しいという気持ち。そして自分の愛するパートナーが他の男と踊ることを見ているしかない複雑な気持ち。寂しさと愛情が折り重なっている曲なんだよ」

その後、古我地のライヴの後に、古我地にこの話を知ってるか?と尋ねてみた。古我地は初めて知ったと言った。

それからしばらくして古我地から、自分の“ラストダンスを私に”の映像をFACEBOOKにアップしたからあの話をそこに書いて欲しい、とのメッセージを受け取った。でも私は、その先輩を疑うわけではないけれど、あの話が本当のことかどうかはわからないので、その曲のことをあらためて調べてみた。

分かったことは、この曲を作詞作曲したドック・ポマス(Doc Pomus)は、小児麻痺のため下半身が不自由で、生涯車椅子と松葉杖を必要とした人物だったということ。彼がこの曲を作った時に“戦争で負傷した帰還兵”を想定したのかどうかは分らなかったけれど、作者の境遇を知っただけで、この歌の主人公の気持ちは先輩が言っていた通りなのだと分かった。

この曲を初めて知ってから40年以上もたって、この歌の本当の意味はそれまで自分が思い込んでいた意味とは全然違うのだと私は知った。私はこの話を、この曲を私に教えてくれた父にいつか話したい、と思った。しかし、そんなことはいつしか忘れてしまい、父は昨年他界した。私は父の最期に立ち会うことが出来なかった。父が息を引き取った翌日のベッドの横には、ポータブルCDプレイヤーと越路吹雪のCDが残されていた。

ふと思えば、この話を伝えたあの日以来、私は古我地の歌を聴いていない。

古我地





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